しかし、伝統ある業界ではよくあることですが、各社が総論賛成各論反対でなかなか前に進みません。最終的には委員会をはなれ、危機感を共有する3社が協業化の議論をはじめました。その会社が、明治9(1876)年創業の株式会社廣貫堂、昭和24(1949)年創業の大協薬品工業株式会社、そして内外薬品でした。

 薬のケロリンは薬局・薬店向けを中心としていますが、内外薬品全体の売上は配置薬向けが6割を占め、配置薬部門は減少傾向にありました。共同会社設立にあたって、当初は配置薬の営業部門の統合を目指していましたが、製造部門の統合も必要でした。

 そこで、内外薬品は配置営業部だけではなく、全事業を新会社に移管することにしました。このとき、内外薬品は製薬企業としての看板をはずすことを決断したのです。

富山めぐみ製薬ロゴ2018年4月、「富山めぐみ製薬」設立。写真はロゴマーク(提供:文藝春秋)

「現状維持」ではなく
「成功」を模索していく

 内外薬品には2つの道がありました。ひとつは、経費を節約しながら、会社を維持していく道です。内外薬品にはこれまでの蓄積があるので、それ自体は可能な道でした。

 しかし、会社が成長しなければ新しい投資もできず、社員の給料をあげて待遇を良くしていくこともできません。もうひとつは、業界再編に積極的に関わり、成長を模索していく道です。

 平成28年に内外薬品の社長になった敬輔は、後者を選びました。会社を維持していくだけならば、できないことはありません。しかし、現状維持を求めるだけでは、100年続いたケロリンといえども、いずれ消えてしまうかもしれません。歴史を振り返れば、内外薬品の代々の社長はその時代ごとに大きな決断をしてきたのです。

富山県富山市にある富山めぐみ製薬の本社屋同書より転載