ちなみに国会ではどうでしょうか。『朝日新聞』記事の2カ月後の2021年12月に「リカレント教育やリスキリング」を国に支援するよう求める発言として初登場していることが確認できます。

 当時の岸田文雄首相は「学び直しや職業訓練の支援を行なって、円滑な労働移動(中略)実現していかなければならない」と切り返しており、知ってか知らずか、行為主体が個人のような、企業のような、絶妙なぼやかされ方がここでもうすでにされてきたと言えます。

 つまり、全国紙にしろ、国会答弁にしろやはり「リスキリング」は出端から、「リカレント教育」「学び直し」とおおよそ同義のものとして扱われてきており、かつ、行為主体が個人なのか企業なのかうやむやな感が否めないまま、今日に至るというわけです。

 この背景はと言うと、思いのほか単純な話だと見ています。労働移動を前提として、社員の就業時間中のスキル獲得を企業が支援する――なんていう本来のreskillingは、日本の雇用慣習からほど遠いものだからです。というのはご存じのとおり、日本の雇用慣習と言えば、メンバーシップ型雇用に代表されます。

 ジョブ型雇用との最大の違いは、労働者個人が遂行すべき職務(ジョブ)が雇用契約に明確に規定されない点であることは周知の事実でしょう。

日本型の雇用スタイルでは
リスキリングの定義が難しい

 日本以外のジョブ型雇用ははじめに「椅子」(職務のたとえ)ありきであるのに対して、「日本の雇用契約は、その都度遂行すべき特定の職務が書き込まれる空白の石板である」と濱口桂一郎氏は『ジョブ型雇用社会とは何か』において看破しています。

 雇用時点で職務を特定しない(決めない)ことで、柔軟性という名の会社の人事権を維持強化してきたのです。ゆえに、雇用という人材との初期タッチポイントからして、職務の話は二の次で、会社の一員(メンバーシップ)にふさわしいか否かが重要とされてきました。