「これまでと同じことをやってもだめだ」と言われた途端、これまでにない、新しい観点探しに奔走してしまう。その新しい観点というのが、「機能」の持ち寄りを前提とした仕事の実像を参照していればいいのですが、そうではなく、個人の「能力(資質)」の問題に還元されたロジックで合意を形成してしまうのです。

 厄介なのは、そのほうが人は納得しやすい。それほどまでに、個人主義的人間観に基づく能力主義が浸透していることの証左でもあるでしょう。

安直すぎる「改革」が
大失敗を生んだ

 これでは、既存社員との相性などに思いめぐらすこともなく、「尖り」のある人を入れれば事業としても「尖る」だろう、という安易極まりない見立てになってしまいます。

 既存社員との相性の問題をろくに捉えず、問題の個人化を繰り返している、埒が明かない事例というわけです。たとえ学歴不問にしようとも、一元的な正しさ(答え)が個人に内在するはずだという盲信ありきにすぎず、広義には学歴主義を含む能力主義と大差がありません。

 案の定、「尖り」要員とされた側にも、既存社員にも不満が募り、外向性の高いタイプは外向きに問題解決しやすい傾向がありますから、「ここは自分のいる場所じゃないな、辞めよう」との意志を固め、さくっと出ていく……。

 他方で中途半端に残された「尖り」要員のタスク、「尖り」重視の曖昧でパターナリスティックな目標の数々……地道に着実に積み上げてくれることが強みである既存社員たちの士気が下がるのも無理はない、というわけです。

書影『学歴社会は誰のため』『学歴社会は誰のため』(勅使川原真衣、PHP研究所)