たしかに生まれる前は長い闇夜の世界が何万年何億年と続いていた(ような気がする)。そして、今、その闇の中で拾った1冊の本を読んでいる。喜んだり悲しんだりもする。そして、私はそろそろ残りのページ数が減ってきたのを感じている。
人が拾う本には、短編や長編、喜劇や悲劇、成功譚や失敗譚、冒険物もあれば、平板で退屈なものもある。それをどのくらい楽しむかは、本人次第。他人の本のほうが面白そうでも、取り替えることはできない。だが、自分の本に自分なりの価値を見出せば、味わいのあるものにすることもできる。他人の本と比べる必要はなく、自己完結で満足が得られればそれでいい。
過去に読まれた本の中には、名作として後世まで語り継がれるものもあるが、大半の本はすべてもとの暗闇へと消えてしまう。
殺伐とした解釈かもしれないが、都合よく想定された死後の世界よりは、よほど巧妙な比喩のように思える。
さまざまなエリアを楽しむ
人生という「テーマパーク」
私は人間の一生は、子どもがテーマパークで遊ぶようなものだと感じている。
一口にテーマパークと言っても、広いところもあれば、狭いところもある。遊具やアトラクションが豊富なところもあれば、少ないところもある。
多いか少ないか、広いか狭いか、面白いか面白くないかは、すべて比較の問題なので、ほかと比べると不満や物足りなさを感じやすいが、比べなければどのテーマパークもそれなりに十分楽しめる。
テーマパークにはさまざまなエリアがある。「出生エントランス」からはじまって、「学校ジャングル」、「人間関係の迷路」、「就職クルーズ」、「結婚アドベンチャー」、「中高年ファンタジー」、そして最後は「老いの館」へと至る。それぞれのエリアは、参加する子どもを楽しませたり、喜ばせたり、苦しめたり、嘆かせたりする。
テーマパークはふつう、70年~80年ほど開いているが、途中で閉園になることもある。場合によっては、自分から出て行く参加者もいる。
テーマパークで十分、楽しんだ子どもは、閉園の時間が来ても、「あー、楽しかった」と満足して園を出て行くだろう。