
家族や自分自身の死期を悟ったとき、延命治療やきれいごとに惑わされると「上手な死」は迎えにくくなるという。外科医・在宅医療医として人々の最期を見届けてきた久坂部羊氏が考える「上手な死」とは?※本稿は、久坂部羊『死が怖い人へ』(SBクリエイティブ)の一部を抜粋・編集したものです。
納得感と充足感に満たされた
「幸福な死」を迎えるには?
SBクリエイティブ社で取った「死の恐怖の理由」のアンケートに次のような回答があった。
『この世でやり残したことがなく、周囲ともきちんとお別れの挨拶できていれば、納得感のある死になるのではと思う(なので普段から家族と密なコミュニケーションを取っているし、やりたいこと・食べたいこと・行きたい場所など、最近は自分のWantを先送りにしないようにしている)』
「幸福な死」とは、言い換えれば「納得感のある死」かもしれない。さらには痛みや苦しみがなく、思い残すことや後顧の憂いがなく、満ち足りた気持ちで迎える死ということだろう。
あるいは、何も知らないうちに突然死ぬのも、恐怖や嘆きや悔いを感じることがないので、「幸福な死」と言えるかもしれない(周囲の者はいろいろ感じるだろうが、当人は何とも思わない)。
夜、暖かい布団に入って、思い切り身体を伸ばし、ふーっと息を吐いて、そのまま眠りに落ちて死ねたら、これほど楽な死はないなと、私はよく思う。
満ち足りた気持ちで眠りに向かって行く心地よさは、何ものにも代えがたいが、満ち足りた気持ちは自分で作るものなので、だれでも味わえる代わりに、どんな偉い人でも、大金持ちでも、美人でも美男でも、もっと得たいと思っている人は、なかなか手が届かない。