しかし、まだ遊び足りない子どもや、いつまでも遊んでいたい子どもは、閉園の時間を恐れたり、拒絶したりする。いくら拒絶しても、テーマパークは時間になれば閉園する。
閉園の時間が迫っているとわかれば、残り時間を精いっぱい楽しんだほうが得に決まっている。ところが、閉園を受け入れられない子どもは、管理事務所に行って、なんとか閉園の時間を延ばしてくれないかと懇願したり、交渉したりする。管理事務所の人も相談には乗ってくれるが、閉園時間を延ばすことには限界がある。
交渉をしている間にも閉園時間はどんどん迫る。交渉などするヒマがあったら、残り時間で遊べるアトラクションを楽しむとか、パレードを見るとかしたほうがいいのに、と管理事務所の人は思うが、子どもはなかなか受け入れない。
すでにおわかりの通り、管理事務所は病院、閉園は死を意味する。
テーマパークで遊べるのは1回きり。閉園時間を気にするより、その1日をできるだけ楽しんだほうがいいにはちがいない。
「自分に生きる価値はあるのか」
問いつづけた先に答えは見える?
新聞の人生相談などを見ていると、ときどき「自分には生きている価値があるのか」というような相談が寄せられることがある。自分はだれの役にも立っていないし、だれからも必要とされていない。無職で家族もなく、友だちもおらず、落ち着ける居場所もなく、やりたいこともなく、将来に夢も希望もないという。
回答はだいたい、だれにでも生きる価値はある、あなたはまだそれを見つけていないだけ等、優しく励ます内容が多い。
人生が調子よくまわっている人は、自分に生きる価値があるだろうかなどとは考えない。仮に問われたら、胸を張って「大いに価値はある」と答えるのみだ。
私はどんなに成功している人でも、幸せに暮らしている人でも、その人の生に価値があるとは思わないし、逆に、無職で孤独で夢も希望も居場所もない人の生を、価値がないとも思わない。
生きるということには、価値があるともないとも思わない。生きる価値などというものは、何か支えがないと落ち着けない人が創り出した妄想で、それぞれが勝手な意味づけをしているから、議論しても答えは出ない。