「インド幻想」を脱して
現実的な関係構築を

 インドを世界最大の民主国家として「次の中国」と位置づけることを、冒頭に紹介したテリス氏は「インド幻想」と呼んでいる。

 そして、インド幻想を最も強く持っているのが、インド政府とインドの人々、そして私たち日本人である。

 だが、インドはインドであり、中国の代替にはなり得ない。インドの特性を理解した上で、限定的かつ段階的な関与を慎重に進めるしかない。

 日本企業は、インドの制度の不透明さ、契約履行の不確実性、文化的摩擦など、現地での実務的なリスクを十分に評価する必要がある。もし進出するのであれば、現地パートナーの選定、法務・労務の専門家の活用、州ごとの政策の違いへの対応など、きめ細かな戦略が不可欠である。

 特に、官僚などからのリベートの要求に対してどのように対応すべきかは、マニュアル化しておくべきだろう。

 また、サプライチェーンの再構築や半導体製造における連携では、制度の透明性や契約履行能力が不可欠であるが、インドはその要件を満たしていない。よほどしっかりしたインド政府の保証でもつかない限り、大型投資には慎重であるべきだ。

 外交面でも、日本はインドとの関係を「価値観外交」の文脈で語るのではなく、現実的な利害調整の場として位置づけるべきである。「世界最大の民主主義」というブランドに惑わされることなく、制度の運用実態を見極める冷静な視点が求められる。

 近年、日本政府は「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想の一環として、インドとの経済・安全保障協力を強化してきた。日印首脳会談では、インフラ整備や防衛装備品の共同開発、人的交流の拡大などが合意されている。

 だが、インドを加えたことで、FOIPは中国包囲網のための安全保障同盟に昇華できなくなっている。インドが中国に配慮してそれを拒否しているからである。

 日本としては、インドを「中国の代替」としてではなく、「インドという特殊なパートナー」として冷静に位置づけ直す必要がある。つまり、期待値を現実に即して調整し、協力分野を限定的かつ段階的に進める「選択的関与」の姿勢が求められる。

 また、インドとの関係を深化させるのであれば、制度改革や人権状況の改善といった「内政の質」にも目を向け、必要に応じて率直な対話を行うことが、長期的な信頼関係の構築につながるだろう。

 インドの人口規模は大きなアドバンテージだが、それを上回るリスクを抱えるのがインドである。インドとの関係は、希望的観測ではなく、冷静な現実認識に基づいて築かれるべきだ。

「インドを信頼するかどうか」という問いは無意味である。インドが重要であるからこそ、「外交戦略の中でインドをどう位置づけるか」が問われている。もし信頼が裏切られたのなら、それは単なる戦略ミスである。

(評論家、翻訳家、千代田区議会議員 白川 司)