選挙における多数派の支持が、少数派の権利を脅かす「多数派専制」に転化している点も見逃せない。ヒンドゥー至上主義の台頭は、宗教的少数派だけでなく、言語的・文化的多様性をも脅かしており、民主主義の本質である包摂性が損なわれているために、民主国家の「価値観外交」においてインドを含めることに抵抗が生じている。
日本などの民主主義国がインドをパートナーとして位置づける際には、制度の有無ではなく、その制度の運用実態を調べるべきである。そうでないと、必ず裏切られるのがインドという国だ。
中国とインドの歩みの
決定的な違いとは
インドと中国は、人口規模や新興国としての位置づけではしばしば比較されるが、両国の歩みには決定的な違いがある。
中国は1978年の改革開放以降、国家主導の産業政策と徹底したインフラ投資により、製造業を中心とした輸出主導型経済を築き上げた。鄧小平の「先富論」に基づく地域格差容認政策は、沿岸部の急成長を促し、グローバル企業の誘致にも成功した。
それに対してインドは、1991年の経済自由化以降、サービス産業に依存した成長モデルを選択した。
特にITアウトソーシングやコールセンター産業は急成長したものの、経済への波及効果の高い製造業の育成には失敗しており、雇用の創出では結果が出せていない。さらにインフラ整備も遅れ、電力・水道・交通といった基礎的な公共サービスの質は依然として低いままである。
中国が「世界の工場」としての地位を確立した背景には、国家戦略の一貫性と、地方政府が外国投資を得ようと激しく誘致競争したことがある。インドでは、州政府間の政策のばらつきが大きく、中央政府の指導力も限定的である。外国企業にとって、インドは投資効果の予測可能性が低く、投資は中国に集まり続けた。
両国の歴史的背景も、現在の国力の差を理解する上で重要である。中国は1949年の建国以降、共産党による一党支配体制を維持し、外国留学を奨励し、少数民族や宗教の弾圧をしながらではあるものの、「漢民族を中心とした国」として政治的安定と強力な中央集権を実現してきた。
文化大革命や天安門事件などの混乱で一時的に国際社会から孤立したものの、国家としての統合力は揺るがなかった。
一方、インドは1947年の独立以来、民主主義体制を維持してきたが、その過程で多様な宗教・言語・民族を抱える複雑な社会構造が、統治の難しさを生んだ。カースト制度の残存、宗教対立、地域主義などが政治の分断を招き、政策の一貫性を阻害してきた。
また、インドの独立は「非暴力・不服従運動」による道徳的勝利として世界的に称賛されたが、国家建設の段階では経済的基盤が脆弱であり、社会主義的な計画経済が長く続いた。これが民間活力を抑え込み、中国のような急成長を実現する土壌を形成できなかった原因となっている。