結局、1952年度予算は、報償費300万円、旅費50万円、庁費200万円、会議費100万円の計650万円となり、翌1953(昭和28)年度は総額1億3466万2000円が内定していたが、衆議院の解散(バカヤロー解散)により暫定予算となった(「吉原資料」所収「内閣総理大臣官房調査室に関する事項」)。(編集部注/吉原資料とは、内閣調査室を批判していた作家・ジャーナリストの吉原公一郎が所有していた未公刊の資料)

右肩上がりに増えた
内閣調査室の予算

「志垣資料」(編集部注/吉田茂が内閣総理大臣官房調査室を新設した際の、メンバーの1人である志垣民郎が所有していた未公刊の資料)所収の文書「業務概要」を基に作成した表七-3をご覧いただきたい。

図表:年度別予算額調(当初)同書より転載
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 その後、内閣調査室の予算は右肩上がりに増え、中でも情報調査委託費の割合は目立って大きくなる(内閣情報調査室に昭和27年度から令和6年度までの各年度の当初予算、内訳が分かる行政文書の開示請求をしたところ、平成24年度から令和6年度の当初予算額の推移等は開示された=閣情23144号、令和6年12月24日。筆者がそれ以前の予算額について、内閣情報調査室に問い合わせたところ、「文書が保存されておらず、作成していたかどうかも確認できない」との回答だった)。

 内部資料から内閣調査室の予算と情報調査委託費(当初)の推移を見ると、当初予算は1956(昭和31)年度に1億2228万2000円と初めて1億円を超え、そのうち情報調査委託費は8301万9000円で67.9%。

 1958(同33)年度には当初予算1億4925万9000万円に対し、情報調査委託費が初めて1億円を突破し1億600万円で71.0%。さらに、1960年代になると委託は黄金期を迎えた感があり、1966(同41)年度には当初予算5億9535万2000円に対し、情報調査委託費は5億5849万5000円で、その割合は93.8%に達した。