委託研究を引き受けるかどうか
学者は難しい判断を迫られた
志垣が学者への委託を担当する調査第五部(民主主義研究等)の主幹を命ぜられたのは翌1967(同42)年7月で、増え続ける委託を差配する責任者になった。
主幹となった直後、『朝日新聞』9月16日付朝刊が社会面トップで「内閣調査室 学界へ露骨な働きかけ」、「「研究費出します」共産圏情報と交換」などと大見出しで報じ、出鼻をくじかれたこともある。
ただ、記事には「旅費せびる一部学者」との見出しで、「外国旅行に先立って「情報を集めてきてやる」と自ら“スパイ役”を買って旅費をせび」ったり、「調査費をもらってもレポートを提出しないでネコババし」たりする者もいるというくだりもある。
学者の多くは「内調とつきあっていると言われるのを恐れた」(志垣に対する2017年5月28日のインタビュー)が、むしろ学者の方が委託に積極的な場合もあったことは日記の端々から読み取れる。
一方で、小泉信三(慶応義塾塾長)や鶴見俊輔(哲学者・評論家)、福田恆存(評論家)、上山春平(哲学者)、安岡正篤(陽明学者)、堤清二(セゾングループ創業者・作家・詩人)ら、委託費を受けない人々もいた。
上山春平は「政府と関係を持つことは情が移り、国民の正確な判断を失うことになる」などと語り、フリーな意見を述べることは約束したが、研究費を受け取ることは頑として承知しなかった。それでも委託を担った学者は驚くほどの数にのぼった。
委託研究に関わった学者の数は膨大
全容を掴むのは不可能と思われたが……
志垣は「委託研究を担った人々」として127人もの名前を挙げているし、藤原弘達(編集部注/志垣と親交が深かった政治学者。1967年の月刊『現代』9月号に「内閣調査室――疑惑に包まれたその正体 未公開資料を駆使して明かした“日本のCIA”」と題する記事を寄稿)や「委託費を受けなかった人々」はそれとは別枠である。