
裸一貫から一代でトヨタ・松下・日立を超える高収益企業「アラビア石油」を作った破格の傑物、山下太郎──。父親との衝突を経て、太郎は「人生とは勝負の大きさ」と語り、「ヤマ師」と呼ばれることを誇りとするようになる。「ヤマ師で結構!」と父親に言い放った一言には、世間の評価や既成の枠に縛られず、自らの信じる道を突き進む覚悟と誇りが込められていた。この連載では、山下太郎の波乱万丈の生涯を描いたノンフィクション小説『ヤマ師』の印象的なシーンを取り上げ、彼の大胆な発想と行動力の核心に迫る。
父親との衝突
人生とは勝負の大きさ
「ヤマ師」とは、世間ではどこか胡散臭い響きを持つ言葉かもしれません。
『大辞泉』によると「山師」とは
1.鉱脈の発見・鑑定や鉱石の採掘事業を行う人。
2.山林の買付けや伐採を請け負う人。
3.投機的な事業で大もうけをねらう人。投機師。
4.詐欺師。いかさま師。
と記されています。
しかし、それを自ら誇らしげに名乗った男がいます。誰もが二の足を踏むような勝負に自ら飛び込み、身ひとつで切り拓いていく――そんな「勝負師の覚悟」とも言える精神を体現したのが、山下太郎でした。
若い頃はクリスチャンを自認し、慶應普通部からなぜか札幌農学校へ進み、初代教頭・クラーク博士の「少年よ大志を抱け!」に感化されて、「世のため人のためになる、だれも成し遂げたことのないでっかいこと」に憧れた人生を歩みます。
太郎が「ヤマ師」を自認するに至った象徴的な場面があります。革命下のロシアから鮭缶を輸入するという大勝負で、巨額の利益を得た太郎。勝負資金の一部は、父・正治から無断で借りた金だったため、その返済に行ったところ、正治から「お前のやっていることはバクチだ」と指摘されます。元々、太郎は子供の頃から父との折り合いが悪く、何かと衝突し合う仲なので、このときも言い合いになってしまいます。