蛇足を承知で付け加えるなら、慶長4(1599)年に南部藩がこの地域に城を置いた際、南部氏の始祖である南部光行の御霊をこの神社に迎えたとの記録が残っているから、古来より大切にされてきた社である様子がうかがえる。
ちなみに三ツ石神社の3つの巨石は、花崗岩という火成岩の一種であることが調査によって明らかになっており、その昔、岩手山が噴火した際に飛んできたものという説がある(※諸説あり)。もともとはさらに巨大な1つの岩石だったものが、時が経つに連れ3つに割れてしまったというが、真相はわからない。
ただ、令和のいまも県内有数のパワースポットとして注目されているのも、三ツ石様の加護があればこそ、だろう。
鬼退治を喜んだ踊りが
「盛岡さんさ祭り」で受け継がれる
盛岡を代表する夏の一大イベント「盛岡さんさ踊り」は、羅刹が去ったことを喜んだ住人たちが、喜びのあまり「三ツ石様」の周囲を「さんさ、さんさ」の掛け声と共に何日も踊り続けたことが始まりとされている。
毎年、100万人もの来場者を集めるこの「盛岡さんさ踊り」は、色とりどりの衣装を身につけた踊り手たちが、笛や太鼓や音色に合わせて「さっこら、ちょいわやっせ」と声をあげながら市街を練り歩く、伝統の祭りである。
「さっこら」とは「幸呼来」、つまり幸せを呼ぶ願掛けの言葉で、さも羅刹を撃退した村人たちのセリフのようで面白い。鬼退治の果てに平和を取り戻した喜びはいまなお止まず、地域の人々に脈々と受け継がれているのだ。
