百貨店給料と副業で家を建てたやなせたかしの“実話”に照らす――副業順調でも辞められない嵩の理由【あんぱん第94回】

やなせたかしは
百貨店の給料と副業で家を建てた

 そもそも三星百貨店も高給だと思う。嵩のモデルであるやなせたかしもそうで、その稼ぎと副業により一戸建てを建てたようだ。

 梯久美子の評伝「やなせたかしの生涯」によると、上京6年目で副業の収入が本業の3倍に。それまでも夫婦共働きで貯金をして四谷の荒木町に小さな家を建てたとある。決してウハウハではなく、慎ましく頑張ったようだ。

 やたらと嵩の「たっすいがー」を強調しているが、やなせのほうには生活力があったのだろう。漫画家としては手塚治虫のように大人気作を描けなかったかもしれないが、むしろ器用貧乏だったのではないだろうか。いろんな絵柄がさくさく描けて重宝されていたのでは。

 ある日、嵩はカフェでいせたくや(大森元貴)と再会する。

 カレーを食べながら語り合うふたり(嵩のおごり)。

 たくやは学校を卒業してタクシー運転手をやっていたが、クビになったところだった。学生時代、あんなに根拠なき自信を持っていてキラキラしていたのに、社会に出るとうまくいっていないようだ。

 でもこれからは音楽をやっていくと決意していた。無理だ無理だとバカにされるが気にしないと言うたくやに嵩は勇気づけられる。

 その頃、手嶌治虫の『鉄腕アトム』が人気になっていて、嵩は若い作家がどんどん活躍していくことに嫉妬を覚えていた。

「でも自分にしかできないことも何かあるんじゃないかなって」と意外としぶとい嵩にたくやは、「嫉妬したと言えるなんてあなたは強い人です」「ほんとうに強くなければそんなふうに自分の弱さを認められません」と肯定的だ。

 このたくやの指摘が興味深い。自分の弱さは見ないようにしてしまいがちだが、目を逸らさず、認めることで打開策が生まれる。たくやがやたらと強気なのはおそらく自分の弱さを認めたくないからだろう。それはそれでひとつの有効手段でもある。

 ただ、嵩が若い才能に嫉妬していたのは、なんだかんだ言いながら負けず嫌いというか、やればできると思っていたのではないか。おれはまだ本気出してないだけだと。そういえば登美子(松嶋菜々子)が「嵩はやればできる子」と繰り返し言っていた。それが刷り込まれていたのではないか。

 嵩の良さは諦めないことだ。自信がないと言いながら決して諦めない。のぶへの思いもそうだった。あれだけ長いこと赤いバッグを持ち続け、思いを叶えたのだから。