そつなく器用に弾ける必要はない。不器用で構わない。そんな風にして、他者評価や同調とは関係のないところで音楽を作っていく2人の連弾は、「趣味」と呼んでよいものです。でも、心地いい音を生み出すには、ただ鍵盤を叩けばいいというわけにもいきません。そこでカヲルが提案するのが、「反復練習」です。
要するに、適切に営まれた趣味には、「自分がいいなって感じられるまで」手をかけ、作り直し、対話を続けるという要素が含まれるのです。
その反復がいつまで続くかというときの指標が、誰かに認められるとか、役に立つとか、評価や成功につながるとかではなく、自分を納得させられるかどうかにあるというのも重要な点です。スイカ畑の加持を思い出させますね。
作品を作り続けるエヴァ制作陣と
スイカを育てる加持の姿が重なる
実のところ、このカヲルの発言は、何度も物語を反復してきた「エヴァ」制作陣の姿と重なっています。新劇場版シリーズを始めるにあたっての所信表明にはこうあります。
「エヴァ」は繰り返しの物語です。主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。わずかでも前に進もうとする、意思の話です。曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。同じ物語からまた違うカタチへ変化していく4つの作品を、楽しんでいただければ幸いです。
登場人物たちが経験を繰り返すのと同じように、制作者たちは「何かを作る、何かを育てる」という経験を反復している。「自分がいいなって感じられる」まで続く物語の制作。
ここまで説明すると、スマホ時代の哲学として孤独の重要性についてただ話すのではなく、わざわざ「エヴァ」を持ち出した理由がわかってもらえたことでしょう。
この物語だけでなく、制作者の姿自体が、「何かを作る、何かを育てる」ことの中にある自己対話と反復性を表しているからです。ほんとよくできてますね、なんか。
