「ワシレフスキーの指示が終わった後で秦からどんな話が出たか。当時の日記に書いてあるから説明しよう」

 コワレンコの話は、謎に包まれた「停戦交渉」の核心部分に踏み込んでいく。

「ワシレフスキー元帥から武装解除の具体的指示を受けた後で、関東軍総参謀長の秦彦三郎はこう言った。『満州では住民が日本軍に恨みを持ってるから関東軍将兵の武器携帯を認めてほしい』と」

 コワレンコの証言が続く。

 当時満州では中国人やソ連軍兵士による略奪が頻発していた。

「秦はその後『居留民が南に避難してるのでソ連軍に保護してもらいたい』と要望した。元帥はソ連軍の連絡用自動車を確保しておくことなどを指示した。それがジャリコーワの会談のすべてだよ」

 コワレンコによると、秦が要求したのは関東軍の武器携帯と居留民保護の二点だけだった。関東軍将兵のシベリア抑留や日本帰還の話は全く出なかった。

「捕虜をどうするかは戦勝国の権限だ。肉体労働させるか、帰還させるか。あるいは食べてしまうのか。決めるのは戦勝国であって敗者がとやかく言えることじゃない」

瀬島が大本営に打電した
「交渉」結果とは

 この証言は秦の著書『苦難に堪えて』の記述と一致する。

「私は関東軍の一般情況を説明した後、日本軍の名誉を尊重せられたいこと、および居留民の保護に万全を期せられたいことの2件を強く要請した。これに対しワシレフスキー元帥は、わが方の要求を快く承諾し、特に日本軍人には階級章および帯刀(剣)を許し、将官には専属副官および当番を、将校には当番を許すと言明した」

 ジャリコーワまで秦らに同行し、控室で待機していた元参謀の大前正明(82)が言う。

「交渉の後で瀬島さんは『元帥は交渉中も自らてきぱき指示するので感心した』と言ってたな。それから印象に残ってるのは『元帥が帯刀を許してくれた』と言っていたことぐらい。軍刀は帝国軍人のメンツの象徴だからね」

 ジャリコーワの「停戦交渉」から2日後、瀬島は大本営に「交渉」結果を打電した。