関東軍総参謀長秦中将及ビ極東「ソ」軍最高指揮官ワシーレフスキー元帥トノ協定左ノ如シ

(1)武装解除ニ当リテハ都市等ノ権力モ一切ソ連軍ニ引渡ス
(2)前線後方共ニ軍隊、軍需品ノ移動ヲ行ハズ。但シ局地的ノモノハ差支ヘナシ
(3)ソ連ハ日本軍隊ノ名誉ヲ重ンズ。之ガタメ将兵ノ帯刀ヲ許シ、又武装解除後ノ取扱ヲ極力丁寧ニス。解除後ノ将校ノ生活ハ成可べク今迄同様トス(食事並ニ当番ノ如キ)
(4)治安ノ間隙ナカラシム。之ガタメ満州内要地等ニ於テハ、ソ連軍隊ガ進駐シ警備其ノ他ナシ得ルニ至リ全力ヲ日本軍ニ於テ実質的ニ武装解除ス。従テコノ間ノ警備ハ日本軍ニ於テ負担ス
(5)関東軍司令部ノ解体ハ全力ノ武装解除後ニ於テコレヲ為ス。コノ間ノ通信機関、連絡用飛行機、自動車ノ使用差支ヘナク、日本軍ノ要求ニヨリソ連ニ於テモ飛行機ヲ差出ス
(6)武装解除後ノ日本軍隊ノ給与ハ自隊ニ於テ之ヲ行ヒ、之ガ為食糧運搬ノ自動車ノ使用等ハ概ネ現在通リ実施ス。給与ノ定額ハ概ネ現在程度ナリ
(7)鉄道ハ速ヤカニソ連ノ管理ニ移ス。食糧輸送ノタメ必要ナルトキハ日本軍ヨリ要求ス
(8)満鮮、居留民ノ保護ニ就テハソ連ニ於テ十分留意ス

あってはならない
歴史的文書の改竄

 8項目の「協定」中に関東軍将兵の帰還や抑留についての記載はない。ワシレフスキーがモスクワに打った電文(8月20日付)も同じだ。

「関東軍参謀長秦中将は、私ワシレフスキー元帥に対して、満州にいる日本軍と日本人ができるだけ早くソ連軍の保護下に置かれるよう、ソ連軍の満州全域の占領を急ぐよう要請し、同時に、現地の秩序を保ち企業や財産を守るため、ソ連到着まで武装解除を延期されたいと陳情した。秦中将は、日本人、満州人、朝鮮人の関係が悪化していると述べた。また日本軍将官、将校、兵士に対する然るべき取り扱い、給養、医療を要請した。私は必要な指示を与えた」

 この電文はソ連軍事検察庁法務大佐ボブレニョフが発見。著書『シベリア抑留秘史』(1992年)でその存在を明らかにした。