転身話を聞いていくうちに
「自分もやれる」と思った

 当時、私は営業職だったので、これらの転身物語を取引先で話すと、相手も会社員なので興味をもってくれました。「こんな面白い人に会いましてね」といった雑談が大いに喜ばれたのです。逆に相手先から興味深い話を聴けることもありました。

 それをまた別の取引先で喋って相手に喜んでもらう。話はドンドン広がりました。収集したエピソードが、行く先々での効果的な“話の種”になったのです。結果として営業成績も上がり、会社から表彰されたこともありました。世の中、何が幸いするかわかりません。

 さらにおもしろいことに、取材した人が30人を越えたあたりから、なぜか「自分は大丈夫だ」と感じ始めたのです。周囲の環境は何も変わっていないにもかかわらずです。

 今から考えると、彼らの転身話を繰り返し聴いているうちに、自分でもやれないわけがないと思ったのかもしれません。そういう意味では、彼らは私が危機を脱するための師匠やメンターの役割を果たしてくれたのでしょう。

 結果的には、この活動が新聞記者の目に留まり、朝日新聞beで「こころの定年」というタイトルで、転身者を一人ずつ実名で紹介するコラムの連載をもらいました。

 これが著述業と会社員との二足の草鞋を履くきっかけになりました。最終的には150人程度に話を聴きました。

 気が付いたのは、私自身が「いい顔」だと感じている人に話を聴くとヒントを得られることが多いことでした。また彼らから取材に相応しい人を紹介されることもありました。ここでの「いい顔」というのは、もちろん美男美女という意味ではなくて、声や態度、雰囲気も含めた顔の表情のことです。 

 人には好みがありますから、「いい顔」と感じるかどうかは、人それぞれでしょう。私が「いい顔」と感じる人物を、生理的に受け付けない人もいるかもしれません。そういう意味では、主観的なものなのです。