さて、このようなマスコミの人権軽視っぷりを聞くと、「あれ? なんかちょっと前にも似たような話があったような・・・」と思う人も多いだろう。
そう、実は今回の騒動は本質的なところでは、「フジテレビ問題」とそっくりなのだ。ピンとこないという方のため、以下のように3つのポイントに整理して解説していこう。
1.かねてから「被害者」がいるのに問題を放置してきた
2.「みんなのスター」を守るために個人の訴えは黙殺
3.「告発のせいでみんなが迷惑している」と被害者を叩く
まず、1に関しては多くの説明はいらないだろう。高校野球、特に甲子園常連の強豪校では暴力・イジメの「被害者」は定期的に発生してきた。PL学園、大阪桐蔭、横浜、健大高崎など枚挙にいとまがない。
なぜこうなってしまうのかというと「常勝軍団」をつくるためだ。
全国から野球エリートを集めて熾烈(しれつ)な生存競争をさせるので、どうしても弱い者は強い者たちからナメられ、暴力やイジメの標的にされがちだ。また、チームスポーツなので「みんなの足を引っ張る者」は役立たずと疎まれ、時に「もっと気合いを入れろ!」と“鉄拳制裁”を受けてしまう。
軍隊組織でもよく見られるこの構造的な問題を、果たして高校生の部活動で放置していいのかということは教育やスポーツの専門家が何十年も前から苦言を呈してきたが、なんやかんやと理屈をつけて野放しにされてきた。
これはフジテレビの問題も同様だ。テレビの世界でも暴力・イジメの「被害者」は定期的に発生している。
「いい番組」をつくるためには、上位下達の厳格なタテ社会が必要不可欠とされているからだ。その弊害で、フジテレビでは弱い立場の人々へのセクハラ・パワハラが蔓延(まんえん)して、さらには女性アナウンサーを飲み会の接待要員にする「上納文化」が生まれてしまったわけだが、こちらも野放しだった。
では、なぜ高校野球やテレビで暴力・イジメが放置されてきたのかというと、2の《「みんなのスター」を守るために個人の訴えは黙殺》という対応を続けてきたことが大きい。