多様性というと、そういうことを人間は考えがちです。しかし、僕はそれは多様性の本質ではないと思います。そんなことをしても、社会的分断を深めるだけではないでしょうか。

多様性こそが
N高の“強み”

 本当に重要なのは、社会にはさまざまな人がいるという事実を理解するエリートを育成することです。世の中には自分たちのような小学校から受験勉強をしている人たちだけではなく、子どもを塾にも通わせられない貧しい人もいれば、ハンディキャップを持つ人もいる。世の中とはそういうものだと理解して成長した人がエリートになることが大事なのではないでしょうか。

 ここにN高から東大生を出す意味があります。N高は多様な生徒を受け入れるように設計されています。実際、生徒たちの背景はじつに多様で、この社会には多様な人がいることをおのずと感じるようになっていきます。そういう生徒から日本のエリートを輩出することは、僕たちの社会的使命のひとつだと考えています。

「生徒の母数が大きいから意味がない」という批判も的外れです。N高では大学進学をめざしていない生徒がそもそも半分くらいはいますし、生徒の偏差値もバラバラです。

 母数の大小ということを問題にしたいのなら、同じ偏差値のグループでの合格実績を見るべきでしょう。N高のように多様性がありすぎる学校の場合、率を考えること自体が間違っています。重要なのは人数です。

 たとえば、東大をめざしている生徒にとって、同じように東大をめざしている仲間がどれくらいいるかが重要です。N高には、難関大学をめざす生徒が参加するコミュニティ「Class H」があります。

N高の持つ
「本質的な利点」とは?

 東大生および東大出身者で構成されるチームとの議論・交流やオリジナルテストの実施によって、Class Hの仲間で刺激をし合い、結果的に東京大学をはじめ多くの難関大学の合格者が出ています。