埼京線Photo:PIXTA

首都圏屈指の混雑路線として知られる埼京線は、9月30日に開業40周年を迎える。JR東日本は記念イベントを展開し、特別車両やスタンプラリーなどで沿線を盛り上げる予定だ。大宮と新宿を直結し、都市の発展とともに歩んだその背景には、新幹線建設や住民運動が交錯した複雑な経緯がある。埼京線の歴史とは。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

紆余曲折の連続だった
埼京線の成り立ち

 首都圏屈指の混雑路線、埼京線は9月30日に開業40周年を迎える。JR東日本はこれを記念して、9月13日から10月13日まで、埼京線・川越線を中心とした沿線エリアで「埼京線開業40周年記念 Saikyo Festa」を開催する。

 開業時の車両「103系」をイメージしたうぐいす色のラッピングを運転席付近に施し、ヘッドマークを掲出した特別車両を9月30日から2026年2月28日まで運行するとともに、沿線各駅でスタンプラリー、オリジナルグッズ販売、埼玉の食材や商品を集めた「彩の国マルシェ」の開催など、イベントが目白押しだ。

 そんな埼京線は1980年代、大宮、与野、浦和が新たな時代に突入したことを象徴する路線だった。各市を貫く東北本線(宇都宮線・高崎線・京浜東北線)は上野方面に向かう路線で、池袋、新宿、渋谷方面に向かうには、赤羽で赤羽線(赤羽~池袋間をピストン輸送していた路線)、池袋で山手線に乗り換える必要があった。

 新宿は1991年に東京都庁が移転して「新都心」として成長。池袋、渋谷も商業エリアとして存在感を増すなど、山手線西側の地位は高まっていた。そこに大宮から池袋、新宿方面に直通するようになり、沿線の通勤エリアが大きく広がった。

 だが、埼京線は開業まで紆余曲折の連続だった。埼京線の成り立ちは東北新幹線の建設計画にさかのぼる。