「君は、何のために
生きているの?」
そんな主張の激しいフランス人の多くが口にする、ある質問にも私は驚いた。それはこんなフレーズだ。
「君は、何のために生きているの?」
まるで哲学の授業のような質問。人生観や道徳観を問われることが、友人だけでなく初対面の人との会話でも、よくある。そして返事を曖昧(あいまい)にすると、また怒られる。
フランス人と話していると、哲学者同士の討論会に紛れ込んだかのような気分になる。実際フランスには、一般市民がカフェに集まり哲学を語り合う「哲学カフェ」という文化が存在する。
これは1992年に哲学者マルク・ソーテがパリで始めた試みで、バスチーユの広場に面したカフェに毎週日曜多くの人が集まり、「生きるとは何か」「働くとは何か」など人生の問題について語り合う。現在は日本も含むその他の国にも広がっているらしい。
さらにフランスでは高校から哲学の授業が必須であり、大学入学資格試験・バカロレアの試験問題では「理性と情熱は共存しうるか」というような問いに論述で答える必要がある。こうした教育背景もあり、フランス人は日頃から答えのない問いについて考え、そして議論する習慣があるのだろう。
意見が一致しなくても
全くお構いなし
そしてその意見が一致していなくても、全くお構いなし。自分はこう思う、君とは意見が違うけど、それだけ。意見が違っても相性の悪さにつながらないし、むしろ多様な意見を聞こうとする文化が育まれている。
集団の調和を重んじて議論を避けがちな日本人とは対照的に、フランスでは議論こそがコミュニケーションの主要な基盤。
「君はどう思う?」と真剣なまなざしでの問いかけに対して、日本でなら「うーん、そうですね……難しい話題ですね……」くらいで笑ってはぐらかすこともできるが、それを許さないオーラを漂わせている。答えを返すまで沈黙の中で見つめられたまま待たれてしまう。
もちろん、フランス流の熱く議論する姿勢から学ぶべき点は多い。