心地よい距離感を保つ
日本人的コミュニケーションに癒やされる
フランス人たちとの哲学的なコミュニケーションは自己との対話につながり、自らを成長させてくれることを実感する。自分はこういう考えだったのか、こういうことを好み、これが嫌いなのか――。
だが一方で、体力を奪われることも事実。日本人である私にとって、日本人的なコミュニケーションは非常に癒されることを痛感する。
日本人は「シャイで自己主張が足りない」と批判されることも少なくないが、異文化の中に身を置いてみると、その控えめな態度や奥ゆかしさは、相手への思いやりや礼儀に根ざした美点であると感じる。
会話の糸口として、当たり障りのないスモールトークが好まれ、天気の話や季節の話題、趣味や最近あった出来事など、深刻でも個人的すぎでもない話題で場を和ませながら距離を詰めていく。
心地よい距離感を保ちつつ、適度に空気を読み、相手を不快にさせないように配慮されたコミュニケーションは相手に安らぎを与える。この「ほどよさ」は、日本社会が育んだかけがえのない美徳だろう。
「おつかれさま」は
日本人のコミュニケーションならでは
「おつかれさま」という言葉も、フランス語には直訳できない。「Bon travail」と訳される場合もあるが、これは「良い仕事をしたね」という意味なので、日本語の「おつかれさま」のように使うことはできない。
考えてみると何だかよくわからない、明確に何に対して言っているか不明の、ただの「おつかれさま」という言葉は、日本人のコミュニケーションならではの表現なのだ。
フランス人の高速ドッチボール的な会話と比べ、ゆったりと余白のあるキャッチボールをする日本人的な会話を、もっと誇ってもいい文化だと私は思う。グローバル化が進む社会において「日本人はもっと積極性を持つべき」という意見を多く耳にするが、日本人の控えめなコミュニケーションこそ武器にできるのではないだろうか。
この日本的コミュニケーションを行える自分を誇りに思いながら、私は今日もフランス人たちに怒られる一日を送っている。