なおこれらの研究では得られた統計データから「感情は伝染する」と結論づけられたが、「人は他人に共感したい性質を持つ」というスポットライトの当て方もできそうである。

 特に日本のように「和を以て貴しとなす」「周りより目立つことをしたくない」という国民性だと、「他の人がポジティブ投稿してるから自分もポジティブ投稿しておこう」と考えて先の投稿に同調しようという人の数は多いのではないか。

ネガティブな投稿に出合った時
読み手はどう感じるか

 SNSをやっていると、ユーザーごとに「ネガティブな発信とどう向き合っているか」が異なっているのがなんとなく見えてくる。「この人はポジしか言わない」「この人はネガがとても多い」など。

 私はネガティブな投稿をする際は、他人をむやみに暗い気分に引きずりこみたくなく、また「同情を引こうとしている」と思われるのが嫌なので投稿前にかなり精査するし、結果投稿せずに下書きを削除することも珍しくない。

 私と同様の態度であると思われるユーザーを見つけるのは難しくなく、むしろ結構な割合の人がネガティブな投稿に関しては投稿前にある程度自己検閲をしているであろうことがうかがえる。

 一方、ネガティブな投稿ばかりする人もたまにいて、この人はいつもあまり楽しくなさそうだなとか、余計なお世話なことを感じたりするのだが、ではネガティブな投稿を目にするのをなるべく避けたいかと改めて考えてみるとそんなことはなく、そりゃ四六時中読まされるのは嫌だが、スパイス的にはむしろ好ましくすら思えてくるのであった。

 ネガティブなコンテンツが好ましく思われる理由は、「ポジティブばかりだとまぶしくて疲れてしまいそうだから」という理由のほかに、「自分にない感覚や状況を垣間見たい好奇心」などがあるだろうか。

 また、性格は悪そうに聞こえるだろうが、もっと本音・本能に近い部分には「誰かを見下したい願望」や「苦境にいる人を安全圏から眺める愉悦」などもあるかもしれない。

 ここで挙げたのは、ネガティブな投稿に対して読み手が主体的にどう感じるかについてだが、ではネガティブな投稿をした本人にとって、その投稿にはどのような効能があるか。