
子どもの教育に熱心になっている親は多いだろう。現在は、教育についての情報も多数あり、その取捨選択も一苦労する。しかし、養老孟司氏はそのような幼い頃からの熱心な教育に懐疑的だ。教育の本質とは?※本稿は、養老孟司『人生の壁』(新潮新書)を一部抜粋・編集したものです。
※2025年2月13日公開の記事を再配信します。
子どもに手をかけたほうがいいという錯覚
そんなに結果は変わらない
いまの子どもたちは習い事が多くて忙しいとよく聞きます。親の出費も多いようです。多くの親は、自分は子どもを大切にしている、教育に熱心だと思っているでしょう。無理をして出費している親ならば、余計に「こんなに手をかけている」という気持ちを持つかもしれません。
ただ、そこに少し勘ちがいがあるのではないかとも思います。
そのようにあれこれ習わせることで、子どもが良い方向に育っていくというのは、一種の幻想ではないでしょうか。あれこれ手をかければかけるほど、子どもにプラスになるなどというのは勘ちがいの典型です。
乱暴に言ってしまえば、子育てにあたって親が気を使うべきは、子どもを危ない目に遭わせないことと、食事をちゃんと与えること、そのくらいでしょう。
それ以上、手をかけてもかけなくても、実はそんなに結果は変わりません。
そもそも私自身がそんなに親に手をかけられたおぼえがありません。私の世代はみんなそうでしょう。
習い事だの塾だのよりも、むしろ兄弟姉妹がいたことのほうが、よほどためになったように思います。存在そのものに教育効果があるともいえます。兄弟姉妹で助け合ったり、けんかしたりすることが、成長を促すのです。
このように言うと、「あんたの頃とは時代が違うよ」と思われるかもしれません。でも時代が変わっても変わらないことは多くあるのです。