最近、「第3の道」という言葉を耳にする機会が増えました。この言葉は、閉塞感漂う現代社会において、従来の枠組みの延長線上で「AかBか」と考えるのではなく、新たな枠組みを創造し「AでもBでもない、新たな活路(第3の道)」を見出そうとする時に使われるものです。
鳩山首相の「新しい公共」という言葉も、従来の「官か民か」という二元論ではなく、新たな公共サービスの担い手をイメージした「第3の道」と言えるでしょう。これ以外にも、「環境か経済か」「企業かNPOか」など、これまで二元論で語られ思考停止しがちだった分野は、総じて「第3の道」を模索していると言えるのではないでしょうか。
「第3の道」のヒントは
坂本龍馬にあり!?
しかし、もし現代に「第3の道」を見出せない時は、過去に「救いの道」を求めることもあります。
いま、巷では「歴女(れきじょ)」という歴史的偉人に憧れを抱く女性が多いそうですが、これもある意味では、「草食系か、肉食系か」や「仕事人か、家庭人か」といったように従来型の二分類で男性を語るのではなく、無意識のうちに「第3の道」を過去に求めている証拠かもしれません。
しかし、歴史的偉人に救いを求めるのは、女性に限った話ではなく、閉塞感漂う現在の日本の状況を、幕末から明治維新の時代と重ね合わせる人は多いと思います。
特に今年は、福山雅治さん主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」をはじめとして、CMなどでも坂本龍馬が注目されています。幕末動乱期における龍馬の偉業をあらためて振り返ってみると、それはまさに、現代と同じように「第3の道」を模索する中で辿りついたものであったことに気づかされます。
例えば、「薩長同盟」は、長年犬猿の仲にあった薩摩藩と長州藩との間で結ばれた軍事同盟ですが、2つの藩はこの同盟の少し前まで戦争関係にあった間柄です。こうした関係をもとに常識的に考えると、「対立関係を続けるか、それとも妥協点を見出し和解するか」という議論がなされるのではないでしょうか。しかし、龍馬が行なったことは、和解を遥かに飛び越え「同盟関係を結ぶ」という“ウルトラD”でした。このことは、まさに常識を超えた「第3の道」を探し当てたと言えます。
また、「大政奉還」も新しい日本のグランドデザインを描いた龍馬の「船中八策」をもとに建白がなされたことから、龍馬の偉業として歴史に刻まれています。これも「佐幕か倒幕か」、はたまた「平和倒幕か、武力討幕か」という当時の世論に対して、250年以上続いた徳川幕府自らが、政権を朝廷に返上する「第3の道」を実現したことになります。15代将軍徳川慶喜が自ら政権を朝廷に返上することにより倒幕の根拠をなくしてしまおう、という奇抜な発想は本当に驚くべきものです。
これら龍馬の偉業から学ぶことは、薩長同盟にせよ大政奉還にせよ、それ自体が“目的”ではなく、“手段”であった、ということです。薩長同盟、大政奉還に共通する真の目的は、内戦の長期化で国内が疲弊すれば、当時の清国のように、日本も列強の侵略による植民地化を許すことになり、龍馬はそれを何としても防ぎたかったのだ、と言われています。