それがどれだけ珍しいケースでも、100ユーザーのうち1ユーザーしか示さないようなレアな体験でも、その1ユーザーが示した体験が強烈なので、思い込みが「真理」として補強されるだけの説得力を感じてしまうのである。

乗っているのが若者中心
「なんとなく危険」というイメージに…

 LUUPにも似たところがある。LUUPは若者が中心に乗るモビリティで、その若者らは垢抜けているので、持たざるものから見ると人生輝かしくて楽しそうだし、そのひねくれた観点から悪くというと「調子乗ってる感」が、まあある。「なんかLUUPに乗ってるのを見るだけで気に入らない感情」が湧く人が、世の中に何割かいる。

 そして車でも「若者は事故率が高い=危険な運転をする」ということで、「LUUP=若い人中心に利用」であるから、すなわち「LUUP=危険な運転をする」という証明が成立し、先の「LUUP気に入らない感情」と結びついて、「危険な運転をするLUUPを滅せよ」という声が大きくなるのである。

 実際に的を射ている部分もあるわけだが、感情が声を大きくしている部分もあり、鮮烈な体験による補強された思い込みもあったりして、実態が正確に描写されきっているわけではない。

 しかし民主主義では「真実」や「データが示す妥当性」より民意が上位にくる。民意はデータを参考にはするが思い込みや気分、ノリによって決定されることも多く、それでもその流れを全肯定するのが民主主義である。

 であるからパリのレンタル電動キックボードが廃止になったのは2023年だが、仮に今後「電動キックボードの方が電動自転車より安全」という結論が裏付けられていったとしても、パリが「電動キックボード廃止」を決定すれば、民主主義においてはそれこそが正解である。

 つまりは、LUUPも実態以上に悪く見られている可能性が多分にあるが、民主主義においてはそれが真実である。

 もっともLUUPを始めとするレンタル電動キックボードは日本国内で急ピッチで導入が進められゴリ押し感が否めなかったところはあり、受け入れ準備の心構えも納得も何もできていない国民らが当惑とともに憤りを感じながら今に至っている⋯⋯というのもこの問題の一側面である。

 であるから、政府や企業のやりようによってはレンタル電動キックボードまわりの感情改善が期待できる、つまりは伸びしろがあるということもできる。

 日本では規制緩和が始まった年にパリでは利用が廃止された。そして今また新たな研究が新たな安全性の可能性を示唆している。パンデミック前後に登場したこの新時代のモビリティサービスは、落ち着ける形を求めて今しばらく漂いそうである。