クリンゲルバッハらは“かわいらしさ”は人々の道徳的な範囲、つまり「道徳的な考慮に値するとみなされる存在の、周囲に引かれる境界線」を広げる可能性があると言っている。ギリシャへ向かおうとして乗った船が転覆し、トルコの海岸に打ち上げられたシリア難民のアラン・クルディ君(3歳)の写真への世界的な反応がその例だ。
『奇跡の母親脳』(チェルシー・コナボイ、竹内薫、新潮社)
人々は砂に顔を押しつけたその小さな少年の画像を見、父親アブドゥラの言葉を読んだ。家族を安全にカナダへ連れて行こうと多くの方法を試みたこと、仕事と滞在場所を用意した親戚が待っていたこと、他に方法がなくなり、密航業者の船に家族を乗せたこと。海に投げ出された息子たちを一人ずつ交互に抱き上げようとし、アランとその兄、母親が海に消えてしまったこと。「大切なものが失われてしまった」とアブドゥラは『ニューヨーク・タイムズ』紙に語った。
『タイムズ』紙によると「世界中に衝撃を与えながら」少年の物語はしばらくの間、他の何より政治家や一般市民の注目を集めた。1100万人以上の人々が避難を余儀なくされた事実でさえ、それほどの注目を集めなかった。
おそらく多くの人々が映像を見てわが子を思い浮かべたからかもしれない。子供の柔らかく丸い頬に手を当てる時と同じ脳の領域が活性化したのだ。喜びと絶望の間にある、お馴染みの親の不安の明滅。「トロイの木馬のように」とクリンゲルバッハらは書いている。「閉ざされたままだったかもしれない扉を“かわいらしさ”は開けるのです」







