さらに、「どの映画を見るか」「どのルートで移動するか」といった日常の判断をAIに委ねることも増えており、私たち自身の意思で選択する機会は徐々に減少しています。

 つまり、知らず知らずのうちに、私たちの生活や人生は、他人の判断や他人の思考に埋め尽くされてしまっているのです。

 もしかしたら、「AIに選ばされていることはうすうすわかっているけど、自分で選んだり情報を探したりする必要がなく、楽で心地いい」と感じている人もいるかもしれません。

社会が複雑になりすぎたせいで
最良の選択が難しいVUCA時代

 VUCA時代とは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)、といった要素が高まった時代、つまり予測不可能で変化の激しい、先行き不透明な時代を指します。

 こうした時代では、何が正解なのかが見えにくく、そのせいで多くの人が選択を躊躇するようになっています。

 かつての日本社会は、ある程度確実性の高い社会でした。「安定した企業に入り、長年勤めれば、給料も地位も上がっていく」など、「この道を選択したら、こういう結果が得られる可能性が高い」という予測をある程度立てることができたのです。

 ところが、今はVUCAによる不確実性が高く、「将来がわからないから」という理由で、進学しない、就職しない、結婚しないといった選択をする人が増えています。

 そして、個人だけでなく、企業も社会もポジティブな選択をためらい、その結果前進できなくなっているのです。

 一時的な現象ならまだいいのですが、VUCAはいつまで続くかわかりません。いや、今後はずっとVUCAの時代なのかもしれません。

 そうなると、ポジティブな選択ができず、個人も企業も社会も停滞したままになってしまいます。

 だからこそ、自分の意思でいい選択をする必要があるのです。

 こうした社会でいい選択をするためには、選択の根拠を大きく転換する必要があります。

 そう、データに頼るのではなく、思考に頼るのです。

 思考といっても、ただ漫然と考えるだけでは答えは出ません。哲学を使った選択思考によって、自分が正しいと思うことを再定義することが大事なのです。