若者の英語教育を島根で行いたい
軽めに描かれているから、スルーしてしまうが、このドラマの登場人物たちはみんな、モラルが低め。生きることを優先するとそうなるのだろうか。人間は善も悪も持ち合わせているという認識のもと、描写することは表現の成熟ではある。でもそれでも善性を選ぶことこそ、さらなる成熟ではないのか。誰もが善も悪も持っていることを認めてしまうと、闘い奪うことも仕方ないことになってしまう気がして筆者は不安になる。
この善性は本来、ヒロインが担ってきた。ところが昨今は、ヒロインに多様性が託されるようになった。『ばけばけ』の善性は銀二郎(寛一郎)がひとりで担っていたように思う。だが、あいにくもう彼はいない。次なる善性が託せそうなのは誰かと見ますと――錦織(吉沢亮)である。
その頃、錦織は江藤知事(佐野史郎)のところにいた。主役不在の歓迎式典になったと知事はふきげんだ。知事の気持ちもわかる。
ヘブンは「私が東京で出会った西洋人たちと比べるとずばぬけて風変わり」な西洋人だと錦織は言う。ニコイチのように思われても、錦織もヘブンとは初対面だから彼だって困惑していた。
知事は島根を一流の県にしたい。そのためには若者の英語教育を行いたい。それには異人の存在が不可欠。ヘブンは帝大教授の推薦を受けた人物なので、期待をかけている。
錦織のことも「危ない橋を渡ってまで、島根に呼び寄せた」と知事は言う。いったいどんな危ない橋なのか。いずれにしても知事はヘブンと錦織に賭けているのは確かのようだ。
錦織がヘブンの宿に迎えにいくと、ふすまが閉ざされている。話しかけても答えがない。諦めてそっと中学校のテキストを廊下においていく錦織。東京で自分も戸を閉ざして勉強に集中していた経験があるから無理に開けたりしないのかもしれない。錦織は他者に対して紳士的な配慮がある気がする。ここに錦織の善性を感じる。
錦織が去ったのを感じたヘブンはそっとふすまを開けると、本を手にとりまた障子を閉める。
神の国・松江を満喫しているようで、どこかヘブンには影がある。









