人生設計はできれば若いうちから持っておきたい。若い時分であればそれだけ自由であり、選択肢も豊富である。若い時分から努力すれば、成長の可能性も大きいし、力量が向上するのも早い。しかし、人生100年時代、いくつから始めても遅すぎるということはない。

 古来稀だと言われてきた年齢となって、これまでに実に多くの人々の人生を見てきた。それらの人生は、反応の人生と自己実現の人生とに大別されるように思われる。

 反応の人生とは、周囲に生じる出来事に対処することで過ぎていく人生のことである。多くの人がこれに該当するが、その中には才能がありながら、目的意識的にそれを一定の方向に向けていくことをせず、才能を発揮することなく終わってしまう人が少なくない。

 自己実現の人生とは、自分の夢や願望の実現を目指すことが人生の芯になっている生き方である。その夢や願望が社会的価値と重なる人もいるし、社会的価値からは一歩退いて内面自己の充実に価値を置く人もいる。

反応か自己実現かよりも
幸福な人生を生きるために

 いずれの人生がより立派であるなどとは言えない。その人の置かれた状況や形成された心理特性により、それぞれの人がそれぞれの人生を送っているにすぎない。しかし、ただ一つ言えることは、どのような人生でも幸せを求めていることは共通である。では、幸福な人生とは何だろうか。このことを考えるとき、私はいつも遠縁の女性の90年の人生を考えてしまう。

 彼女は、小さな田舎町で、役場に勤める幼馴染の男性と結婚し、二男三女を育てた。長男家族と同居し、子どもたちが孫やひ孫を連れて里帰りするのがなによりも楽しみだった。

 趣味は草むしりであり、気持ちがむしゃくしゃしても、草むしりをしていればすっきりすると言う。日常生活は、ちょっとばかりの畑の手入れをし、午後は近所の人たちとお茶飲み話で過ぎていく。大体がとりとめのない噂話であるが、とりわけ3年ごとに隣近所で一緒に行く旅行の話で盛り上がる。

 彼女は夫を見送った数年後に、子、孫、ひ孫、多くの家族と近所の人々に見守られ、この世を去っていった。最後まで周囲への優しさと感謝を表現し、「幸せ、幸せ」が口癖であった。