「あなたに起きているのはとても普通のこと。肉親や友達がドメスティック・バイオレンスに遭っていたり、アルコールやドラッグ中毒者と結婚していたりといった時に、その人のトラウマを二次的に吸収してしまうことはよくあるの」
げ。げげげ。きっと自分はそれだと思う。それは、どうしたらいいんでしょう?
「人に変わってくれと期待することは無駄なこと。他者の行動をコントロールすることはできないのだから。だったら自分の期待を調整するしかない。そして、自分の境界線をしっかりと引くこと。彼女たちに、自分の気持ちを言ってみては?」
2人にこの気持ちを伝えたら、冷たい、友達としての権利があるはずだと激ギレされた。経験が浅かったからか、伝え方もうまくなかった。仕方がない、私がうまくバウンダリー(境界線)を設定できなかったのだ。
ちょっとお休みさせてもらおうと距離を置いたら、そのまま戻れなくなった。申し訳ない気持ちもあったけれど、何より解放感が半端なかった。
そのエピソードは、バウンダリーの重要性を学んだ機会として、私の記憶に刻まれている。
自分の心理的安全性を元にできること、できないことを設定し、開示することが、健康的な関係を作る最低条件なのだ。そうでないと、自分のウェルビーイングを後回しにしてしまうし、そうなれば、健全な関係を築くことはできない。
そうやって学び、達人を目指したはずだったけれど、相変わらず私はバウンダリーの設定が下手らしい。
境界線を越えようとする人がやってきた時に、うまく断ったり、健全な距離を維持することができなくて、最終的には誰かの感情をかえって害したり、より自分が傷つく展開になったりする。気づかぬうちにいわゆる不倫というやつの片棒をかつぐ展開になったり、嘘の一端を担っていたりしたこともあった。
こういう時、人間が変わるのは難しいなあと思う。何度同じ間違いをしても、また同じミスをしてしまう。人間なのだからしょうがない。人生はトライアンドエラーの連続だ。







