日本人のノーベル賞受賞者(米国籍も含む)は、累計で30人(他に団体が1)。そのうち、生理学・医学賞受賞は、(1)利根川進(1987年、都立日比谷高校―京大卒)、(2)山中伸弥(2012年、国立大阪教育大教育学部附属高校天王寺校舎―神戸大卒)、(3)大村智(山梨県立韮崎高校―山梨大卒)、(4)大隅良典(2016年、福岡県立福岡高校―東大卒)、(5)本庶佑(2018年、山口県立宇部高校―京大卒)、それに、大阪大栄誉教授の坂口志文(滋賀県立長浜北高校―京大卒)がこの12月10日に、ストックホルムで行われる授賞式で授与される。
坂口の受賞は6人目だが、生理学・医学賞の受賞は21世紀に急増していることがわかる。これは、米国、英国に匹敵するほどだ。
大村は5人姉弟の長男で、5人とも韮崎高校卒。多趣味で美術にも造詣が深く、私費で「韮崎大村美術館」を設立して市に寄贈している。2015年には文化勲章を受章し、女子美術大理事長や日本エッセイスト・クラブ会長なども歴任している。
「ヒデ」の愛称で親しまれた
元プロサッカー選手の中田英寿
「武」では、「ヒデ」の愛称で親しまれた元プロサッカー選手の中田英寿(ひでとし)が著名だ。アジア史上最高のサッカー選手の一人とされており、世界のサッカー界でも有力選手に数えられた。
中田は、1977年に山梨県甲府市に生まれ、甲府市立北中学3年生の時、U-15(15歳以下日本代表)に選ばれた。韮崎高校2年の時には全国高校サッカー選手権大会に出場している。五輪には、19歳でアトランタ五輪、23歳でシドニー五輪に出場している。
プロになってからは、Jリーグのベルマーレ平塚、イタリアのセリエA、イングランド・プレミアリーグなどで活躍し、2006年に現役を引退した。日本が初出場した98年フランス大会から3大会連続でワールドカップ(W杯)に出場した。
韮崎高校時代から中田は、「サッカーしか知らない人間にはなりたくない」との思いが強く、将来のセリエ行きに備えてイタリア語を勉強していたという。現在は、日本酒の振興を図るなど各種の実業家としての仕事をしている。







