なおかつ、ややこしいことに(あるいは望ましいことに)、憲法以外にも法律や、学校の校則、会社の社則と、無数に決まりはあります。

 それだけではなく、「暗黙のルール」もありますよね。なんとなく部長と毎日ランチに行かなくちゃいけない。なんとなく部活の試合中はヘラヘラ笑ってはいけない。なんとなくAさんがその場にいるときは、Aさんに話題を集めなくてはならない。明文化されたルールと暗黙のルールがわんさか敷かれているのがこの現代社会なのです。

 法律や校則、あるいは暗黙の了解。
 私たちはルールの地層の中で生きている。

 さて、極論すれば、このあらゆるルールに適応できている状態が「浮いていない」ということです。どうでしょう。普通に考えれば難しすぎませんか?

 だって、このルール地層、相当積み重なってますよ。そのすべてに合わせろなんて言われたって、気が遠くなります。「ルールを守れない方が悪い」「社会についていけない人に責任がある」と糾弾するのは簡単ですが、果たしてそれは正しいのでしょうか。このデータを見てください。

・不登校で学校に行けていない子は約34万人(2024度、文科省調査)

・発達障害の可能性がある小中学生は8.8%(2022年、文科省調査)

・日本人の約40%、だいたい3人に1人が孤独(2025年、内閣府調査)

・日本で仕事に満足している人は29%(2023年、PwC調査)

 現代は、日本における「社会から浮いてしまった人」が、歴史上一番多い時代と言えるかもしれません。こうした明確に「浮いている」ことがデータとして現れていなくても、「学校に行きたくない」「今の会社がどうにも好きになれない」、あるいは「エレベーターに乗るときはお静かに、というルールが納得できない」など、人知れず浮いている人も多いでしょう。そう。浮くことは不安だけど、実はだれもが浮いているのです。

私たちはなぜ
浮くことを恐れるのか

 みんな多かれ少なかれ浮いているのにもかかわらず、なぜ私たちは浮くことをこんなに恐れるのでしょうか。理由のひとつに、「同調性バイアス」があげられます。