「昔は良かった」
19世紀の機械にしろ21世紀の生成AIにしろ、誰かにとっての不便や不満は、別の誰かにとっての便利や満足かもしれない。
しかも、「誰か」の未来の姿が「別の誰か」であったりもする。
たとえば、日本の人口ボリュームゾーンである団塊ジュニア世代は現在50代前半。筆者もそうだ。体をひねらなければすれ違えない狭い路地、空調やトイレなどの設備に難のある古い店、階段しか選択肢がない上下階移動は、今は良くてもいずれはつらくなる。杖や車椅子は、想像できないほど遠い未来の話ではない。駅や施設のバリアフリー化は20年後の自分たちを確実に助ける。
また、団塊ジュニアの多くは老眼が始まっている。駅の案内板や店のメニューの文字は、大きく読みやすいに越したことはない。彼らがデザイン性の高さ(文化)より読みやすさ(機能性)を選ぶ日は、遠からず訪れる。
そう考えると、街の再開発とは、中高年の反発を招きがちである一方、実はその中高年のために先回りして行われているとも言える。高齢者に対する免許返納の推進のようなもの。
とはいえ、人の気持ちはもちろん大事だ。変わってほしくないという思い。昔の趣をなくさないでほしいという願い。そういう感情を押し殺す必要はない。だから、ただもう素直に言えばいいのだ。
「昔は良かった」と。
中高年が老人の入り口に立った時のつぶやきとして、これ以上うってつけの一言はない。

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