「諸君! 敵の弾丸が雨あられと振りくる中を、突撃又突撃、肉弾又肉弾、見事敵の堅陣を占領して、そこに間隙の日章旗を翻し、喉も裂けよと萬歳を絶叫する一番乗りの勇士の姿を想像して見給へ!われ等の血は燃え胸は踊り、ここに日本人ありと、叫ばずにはをられぬではないか!」(5ページ)
しかも、そこにはこの数年後に多くの日本兵が実行していく「玉砕」に関しても、かなりドラマチックな美談として描かれている。例えば、「敵陣への一番の乗り」をしていない部隊の隊長が「一番乗りは並大抵のことでは出来ない。全滅の覚悟がなくちゃできないぞ!」と檄を飛ばすシーンがある。そこでは部下たちからこんな言葉が返ってくる。
「無論、戦死は覚悟の上であります」
「いや、戦死は望むところであります」
「わざわざ戦争にきて、今まで生きているなんて、みつともなくて仕方がありません!」
後世では、敗色濃厚になった日本軍のなかで上官命令として実行されたこともある「玉砕」や「特攻」というのは、それよりも遥か昔の日中戦争時から、「若者にもウケる美談」としてメディアが煽りまくっていたのである。
これこそがメディアが戦争を煽ることの本当の恐ろしさだ。「世論が求めているのはこういう話だ」と敵の憎悪を煽り、勇ましい美談をふれまわっているうちに、当のメディアですら予想していなかったような「世論の暴走」を招く恐れがあるのだ。
愚民の御機嫌取をして居ると
愚民が増長する
さて、このような話を聞くと「マスコミは人のことをいろいろ取材して糾弾するくせに、自分たちのこういう問題については取材しないの?」と素直に疑問に思うだろうが、それは難しい。
海外から何十年も指摘され続けている「記者クラブ問題」をスルーしているように、マスコミは自分たちの耳の痛い話は、「報道しない自由」を行使する。典型的な「大企業病」だ。
しかし、昔のマスコミ人はまだ気骨があったので、自分たちが世論を煽った「害」も正面から取り上げた。例えば、明治・大正期に報知新聞社の記者から小説家・劇作家になった佐藤紅緑という人がいる。







