死者の目を開いて写真撮影…
日本と欧米で違う「死」に対する感覚

 まず、亡くなった人に対する感覚が日本と欧米で違う。似ている部分と、微妙にだがしかし決定的に違う部分がある。

 まず、19世紀の欧米では「ポストモーテム(死後写真)」と呼ばれる、王族から庶民まで行うカルチャーがあった。

 亡くなった人のご遺体を写真に収めるのだが、その際にキレイに着飾ったり化粧を施したり……ばかりでなく、遺族が遺体と一緒に棺に入ったり、遺体を起こして目を開いて生きているかのような表情を撮影したり、遺族が遺体と握手を交わしているようなポーズなど、死者のポージング含めて多彩な構図があった。

 現代の日本人の感覚に照らし合わせると死者の冒涜のように感じられるかもしれないが、当時の欧米では故人を悼み、遺族が個人を懐かしむための、愛の発露だったのである。

 これが、おそらく世界大戦を経て人々の認識が徐々に変わり、死後写真は下火になっていったようである。

 だが当時の名残がまだあるのか現代でも亡くなった人の写真を撮ることはあるようで、そのあたりの温度感を知りたくReddit(英語圏の巨大ネット掲示板型SNS)で探ってみたところ、

・個人を懐かしむために亡くなった人の写真を撮った、撮っておけばよかった→親しい人の死を受容し乗り越えるために必要なプロセス、というとらえ方

・「実際に亡くなった人の遺体やお墓で家族写真を撮影したことがある」という人がちらほらいた→父方の親せきはそれにノリノリだったけど母にはそのノリが完全NGだった、という人も

・ご遺体の写真は撮ったが、これはきわめてプライベートなもので他人に見せるようなものではない→「ご遺体の写真は撮った」経験がある人はこのスタンスが多そうな気配

 と考える人たちが一定数いることが観察できた。他方、「遺体の写真を撮るなんてありえない」と考える人も多数いた。一言でいってかなり多彩だが、日本に比べると割合的にタブーとして捉えられる向きはやや薄そうである。