日本にも安田講堂(当初匿名の寄付だったが安田善次郎の死後寄付が知られ、安田講堂と呼ばれるようになった)、大原美術館、大倉集古館などは設立に関わった人物の名が冠せられた公共・文化施設で、こうしたケースはたしかに国内にいくつもあるのだが、カーネギー図書館はアメリカにとどまらず数カ国に渡って計2500を超える数があったりして、規模と熱意が桁違いである。

 何よりフィランソロピー(企業や個人による社会貢献・慈善活動)文化が根づいていて、米国には富裕層に向けて寄付に冠する助言を授ける「フィランソロピーアドバイザー」という資格制の職業まであったりする。

 プロテスタントの日曜礼拝の時にも献金の機会がある。教会によって集金の方法は違うが、礼拝時に係の人が献金用の入れ物を持って来るのが結構スタンダードである。無論献金は強制ではないが、信仰心や神への感謝の現れとして行われ、実際に集められたお金は教会の運営費に当てられる。

日本人が慣例的に行っている“寄付”
「献金」はイメージが良くないけど…

 そういえば日本にも似たシステムがある。お賽銭である。捧げられる金額的にも近い(献金の方が若干単価が高そうではある印象)。

 参拝をする際に取り立ててその意味合いを意識することなく習慣的に投げ入れているようなところもあるが、金銭を捧げることの動機をしかと挙げるならば「神様へのお供え物」「神社・寺の運営サポート」などになるだろうか。

 この点もプロテスタントの献金と似ている。大きく違うのは「お賽銭」と「献金」という呼び名くらいである。

 しかし多くの日本人は、「お賽銭」には抵抗がないけど「献金」にはいくらか抵抗を覚えるのではないか。このあたりに、金銭を誰か・何か授与することへの価値観の日米の違いが見て取れる。献金や寄付がより身近なアメリカと、そうでない日本である。

 日本では「献金」という言葉が、詐欺とか政治家の汚職とか断りにくい同調圧力とか悪い文脈で聞くことが多いのでネガティブなイメージが強いのかもしれない。