余談だが、福祉が充実している(税負担が大きい)北欧諸国でも寄付は行われるが、支援が必要な人へのサポートは国の福祉でまかなえるのでアメリカなどに比べると寄付の起きる動機が薄く、規模は小さめである。

 以上、諸要素を並べてみた結果、寄付に関して日米ではそのバックボーンからして大きく異なっていることがわかる。

亡くなったなかやまさんに何もできない
でも「何かしたい」という思い

 そんな中、冒頭に紹介した「グエー死んだンゴ」はなぜ大きなムーブメントになったか。

 まず一番大きいのは、なかむらさんのキャラであろう。死という、恐怖を覚えさせる絶対的な真理を前にして、自身の死をユーモラスに捉えさせようとした姿勢に多くの人が心を引かれた。

 「グエー死んだンゴ」はネット掲示板5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)の中でも独特の文化を形成する「なんJ」という界隈で使われるスラングだ。

 それに対して「成仏してクレメンス」という返しの定型句があった。なかやまさん関連の寄付が行われる時や追悼の言葉が送られる時、無数の「成仏してクレメンス」が寄せられたのである。

 ネットスラングは基本的に内輪向けのもので、外の人には理解しにくい分、それを共通言語として使っている内側の人たちの連帯感が強固になる。これが初動の拡散をブーストする結果となり、内輪を越えて大きく広がった。

 そして「グエー死んだンゴ」は言い回しこそ内輪向けだが、なかやまさんの見せたポストには「死」やユーモアといういくつもの普遍性があり、それが内輪の外の世界の多数の人々の心を打ったのである。

 また、寄付する先が公共機関だったことも、こと日本においては寄付の輪が広がる一因になったと見ている。日本人は「寄付」に慎重なので、個人に対する寄付はまず「詐欺ではないか」を警戒するが、がん研究センターといった公共の機関ならそこをそれほど疑うことなく寄付にいける……つまり導線が一段階簡略化されていた。

 それに、亡くなってしまった人に対してもはや何もできないもどかしさが、「何かをしたい」という気持ちを刺激した。本人に届かないからこそ逆に寄付をしたくなった……という部分もあるかもしれない。

 最近は主に若い世代が推し活を通じて投げ銭や金銭的なサポートをよく行うようになってきたので、日本人の寄付への感覚も徐々に変わっていくかもしれない。

 最後に、「なかやま」さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。