その当時は仕方なしに、そういう無理な生活をしたけれども、今考えてみると、結局養生せよといっても、私は養生できない。これは要するに運否天賦だ。医者のいう通りしたいが、そうできない。
それで病気が悪くなればしょうがない。運命だというので、それでずっと押し通していたわけである。
どこかそこにクソ度胸ができた。何か精神的な安定というか、強さというか、あきらめというか、つまりマナイタに載ったコイみたいに、勝手に料理してくれという気持になった。
しかし、これはけっして投げやりな気持になったわけではない。熱があるときには、しんどいから1日休まなければならんということはあったけれども、それがためにやけっぱちになるということはなかった。
今考えてみると、こうなったのも運命だというような、はっきりした信念はなかったけれども、何かしらそれを支えるものがあったのだと思う。
不健康への不安が
会社立ち上げにつながった
そういう状態が1年ほどつづくと、3日に1ぺん休んだのが、ぼつぼつ10日に1ぺん、半月に1ぺん休むというようにやや小康を得てきた。それで引きつづきずっと勤務していた。
しかし、自分のからだの弱いということについて、私は始終気になっていたわけだ。いつまでも日給で働いていて、また病気になったのではかなわん、病人であっても、何かめしの食えるようなことを考えなきゃいかんというので、1つ小商売をやろうかと考えて、病気がだいぶよくなってきたときに、肚をすえてその方に踏みきった。
もともと私は、小商売をやりたいなという気持は漠然と持っていた。それは自分の健康に自信がなかったので考えたわけである。あのときに私が健康体でそのままずっと勤めてきたら、あるいは夜学にでもいって技師の端くれにでもなっていたかもしれない。
けれども私は健康でなかったから、小商売でもやろうか、これなら、自分は病気で休んでも、その間嫁さんが働いてくれる。それに今の勤めじゃ、私のからだはもたんという気持が心の底にかすかにあった。それが、私が、電気屋をやる1つの動機になったわけである。







