幸いにして、そんな状態だったのに、今日多少成功したことになっている。そういう1つの体験から考えると、健康はまことにけっこうである。

 しかし健康でないことも、また、けっこうである。私は最近こういう心境になっている。

「休まないと死ぬ」と言われても
日銭のために働かざるをえない

 とにかく自分の考え1つで、健康けっこう、不健康またけっこうなりということを、私は最近若い人にもいっているわけである。

 私は20歳前後に病気になったのだが、その当時、親父が失敗して家は破産し、全くのスカンピンになり、電燈会社の職工をしていた。

 そのころの夏、海水浴場からの帰りしなに、ぱっとタンをはいてみると、血が出るわけだ。私はそのとき肺病をこわがっていた。兄が肺病で死んだものだから、肺病に対しては戦々きょうきょうとした気持でいた。

 そういう際に血をはいたのだから、こら、大へんなことだというので、そのとき私の顔はまっさおになったにちがいない。

 さっそく、その足で医者のところへ行った。当時、健康保険というようなありがたいものはありはしない。普通の開業医にいって診てもらった。

「あんた、あきまへんで、少なくとも会社を休んで、半年ほどくにに帰って静養することやな、今のままやったら死にまっせ」

「どこが悪いんか」

「肺尖や」

 その時分、おはずかしいことだが、私は肺病をひじょうにこわがっていながら、その病気について何の知識もなかった。だから肺尖と肺結核というものの区別も全然わからない。とにかく大へんなことになったと思った。

 ところが、悲しいかな、私はその当時日給だった。家は破産して恒産といったようなものは全くなく、生活はその日その日の賃金によってささえられていた。

 その間にそういう宣告を与えられたけれども、私はくにへ帰れない。帰ったところで、家は破産しているし、たいした親戚もない。

 それに私は10の年にひとり奉公に出て、それから10年もくにに帰っていない。それにもうその時分には父親も母親もいなかった。だからくにに帰っても、身を横たえて養生するところがない。