待てよ、くにに帰っても養生するところがないんじゃ話にならないと思って、医者から奨められたけれども、くにへは帰らなかった。それに当時の私の境遇としては、十分に休んで療養することは許されない。やむを得ず、3日勤務しては1日休むという状態を1年ほどつづけた。
もちろん私もゆっくり休養をとりたかったが、何せ、生活環境が苦しいということから、結局勤めながら養生するといった状態を押しとおした。
仕事を続けてみると
体は思ったより悪くならない
それじゃ病気はどんどん悪くなっていっただろうかというと、それが悪くなっていかない。これは不思議なものだ。薬といっても、その時分は注射なんていうものもあまりなかったころで、もちろんストマイなどというような特効薬もない。普通の街医者のきまった薬しかのまないわけだ。
だから、私は不思議に思うのだが、20歳くらいで、そういう肺病の体質をもっているし、兄貴も肺結核で死んだし、栄養はむろん悪いし、養生もろくろくしない。それで熱が出たら、勤めを1日休むというような状態に追いこまれた。これじゃ病気はどんどん悪くなって当然死ななければならないはずだ。
ところが、病気の進行というものは、理屈通りにいかないものらしい。病気の治ることも理屈通りいかんのと同じように、病気の進行も理屈通りいかない。そこが何か人間以外の意思というか、力が作用するような気がする。
病気はそういう一進一退というような状態でずっとつづいた。それで1年ほど押しとおしたわけだ。そのときの写真を見ると、ほんとに青ビョウタンという言葉が当てはまるような、ゾッとするような姿をしている。
「なるようにしかならない」と
運命に身を委ねて乗り切る
それでも、人間というものは強いものだ。なぜ強いかというと、この線よりあとにひけないところまできて、笑わば笑え、死なば死ねというクソ度胸というか、精神的な安定があったわけだ。
つまり、医者に病気だから養生せよといわれたとき、なまじっか家に金があるとか、温かい肉親でもあるとすれば、医者にいわれた通り養生する。そうすることは1つの弱さだと思う。







