彼は1993年に、サイファーパンク(編集部注/暗号技術を普及させて政治的、社会的目的を達成しようとする集団)の仲間に対して、「インターネット上で偽名を保つという点については、僕の経験は限られているけど、本当の名前を示す手がかりを放置しないよう継続的に努力しないといけないから、それで気が散ってしまうんだ」と語っている(注1)。

 共有ファイルからスペルの癖に至るまで、すべてが命取りになりかねない。

「至る所に危険が潜んでいる。今のツールでは、十分に準備してきた相手に対して、長期間にわたって偽名を使い続けることは事実上不可能だ。ある程度のセキュリティーを維持するだけでもかなり苦労するよ」

サトシの発表した論文は
ニックの影響を強く感じさせた

「あなたはナカモトですか?」と問われたときのニックの否定は、どれも簡潔なものだった。

 ビットコイン・ホワイトペーパー(編集部注/サトシ・ナカモトが2008年10月にPDF形式で発表した、ビットコインに関する世界初の論文)において、それが明らかにニックからの影響を受けているにもかかわらず、彼の業績が引用されなかったこと、しかも後になって、ナカモトがビットコイントーク上で「ビットコインは1998年にサイファーパンクのメーリングリストで発表されたウェイ・ダイのbマネー構想と、ニック・サボのビットゴールド構想を実装したもの(注2)」だと説明していたことの謎は、未解決のままだった。

 ニックの研究からの借りがあまりに明白だったため、2008年末にメッツダウドでナカモトに最初に反応したサイファーパンクであるジェームズ・ドナルドは、ビットコインを「ビットゴールド・コイン」と呼んでいたほどだ(注3)。

 さらにハル・フィニーも、ビットコインに関する疑問を解決するにはソースコードをリリースしてみるのが一番だろうという話の流れの中で、「ソースフォージにはビットゴールドのプロジェクトが立ち上がっているけど、まだコードはないみたいだね」とコメントしている(注4)。

(注1)Nick Szabo, “Re:on anonymity, identity, reputation, and spoofing,” CP, October 18, 1993.
(注2)Satoshi Nakamoto, “Re:They want to delete the Wikipedia article,” BF, July 20, 2010.
(注3)James A. Donald, “Bitcoin P2P e-cash paper,” CR, November 18, 2008.
(注4)Hal Finney, “Re:Bitcoin P2P e-cash paper,” CR, November 13, 2008.