多くの場合、その奥にあるのは、「できない自分を直視できない」という、ものすごく人間らしい恐怖心です。
人は、自分の欠点や弱さを真正面から見ることが、びっくりするほど苦手です。だから無意識にできるフリをしてしまうことがあります。
これは子どもだろうが大人だろうが関係なく、誰でも持っている反応なのです。
「自信を持つ」と「自信を盛る」のは
似ているようで違う
多くの自己啓発本には、「わたしはすごい!」と信じて進むことが大事と書かれています
流行りのいわゆる、自己肯定感というものです。
わたしも営業時代はよく、「やればできる」と思い込むようにアドバイスされたことがあります。
そう思い込むことができたら、確かに行動は変わります。
できると思っていれば、「この仕事チャレンジしてみない?」と言われたら「はい、やります!」と即答できそうだし、人に声をかけたり、手を挙げて発言したりすることも抵抗なくできるようになります。明らかにプラスが多そうです。
しかし、これが行き過ぎるとブレーキのない車のようになってしまうリスクがあります。
冒頭の同僚のように、周囲から疎まれる存在になりかねません。
それを防ぐためには、「やればできる」と言い聞かせるのと同じくらい、「今の自分を冷静に見ること」も大事なのです。
自信が過剰になると、自分が見えなくなり、一方で自信がなさすぎると、自分を低く見積もってしまいがちです。
どちらにも過剰に行きすぎないようにすることが、自分の成長につながります。
なぜマウントを取ってしまうのか
その深い心理
冒頭のエピソードに戻りましょう。そもそも、Sさんの同僚は、どうして「自分のほうが優れている」なんて言ってしまうのでしょう?
「そういう性格だから」という理由もありそうですが、ここでは心理学的な観点から、人が自分を過大評価する背景を考えてみたいと思います。
(1)自信を失いたくない
自分の理想の姿が崩れそうになると、脳は一生懸命、その理想像を守ろうとします。
「今、理想が崩れそうだから自慢している」という認識が本人にないのが問題ですが、自分語りがやたらと長い人は、一生懸命に「こうありたい」という自分の理想を語っているだけなのかもしれません。







