LGBT(Q)当事者の人生やカミングアウトは「おいしいネタ」じゃない

 南と吉田にとって、メディアに取り上げられた“弁護士夫夫(ふうふ)”が目をひいて、それをきっかけに同性愛カップルの存在や、同性婚制度に光が当たり、理解が進んでいくのは本望ではある。

 しかしその一方で、南も吉田も、「世の中のためになるから」「伝えたいから」という言葉を信じ、惜しまず全てを差し出したにも関わらず、そこに至る葛藤や自分自身の傷つきが軽んじられていたと感じることもあった……と、南は苦悩を語る。

 舞台での“受け”をポジティブに評価した演劇人に「あの笑いは、ほほえましいから上がる笑いですよ」となだめられたのは哀しかった、と南は落胆する。「僕と吉田が、ここにくるまでずっと傷ついてきたことを想像してくれていたかな、って」。“ほほえましい”の言葉に小さな暴力が潜んでいることは、自分の存在そのものを人に笑われ、傷つき、笑われぬよう必死に隠してきた者しか気づかないのかもしれない。

 南は、LGBT(Q)の当事者がカミングアウトしてメディアの中で自分を語ることや、エンターテインメントにすることの意味と意義を感じるのと同時に、危うさも感じているという。

「いま、テレビでも映画でも、ドラマでもアニメでも、LGBT(Q)の当事者とされる人たちの物語が、様々な形で作品として消費されています。作品に関わる人たちは、自分の作品という範囲では、それぞれ真摯に向き合っていると思います。でも、当事者の生身の人生を引っ張り出して、他人様に見世物にしている自覚を持ってくれているかというと疑問です。おいしいネタ、くらいに思ってはいないかって」。隠せぬ疲労を滲ませ、南は言葉を絞り出した。

 旺盛なサービス精神と、それを支える本人の多才さと。今年夏以来、南は引き受けた何もかもを、精一杯打ち返してきた。公共放送でのドキュメンタリー放送や劇台本執筆、インターネットテレビのニュース番組では母と共演し、そして上演は異例の大成功。だが注目されればされるほど多くの反応にさらされる南や吉田の中には、じわりとしたわだかまりが濃さを増していく。

 折しも11月28日、同性婚を認めない民法や戸籍法の定めが憲法違反かを争う、全国6訴訟の各高裁判決が出そろった。6件の判決のうち5件が違憲判断。国会はこれにより、法整備を促された格好となる。今後最高裁に移る審理は、早ければ来年度中にも結論が示される見込みだ。

 これが未来にかけて救うことになる人生の数が、どれほどあるか。このニュースの陰で、祈りを捧げる人々の姿に思いが至るか。LGBT(Q)をめぐる社会環境が動くたび、さまざまな報道や発言が世間を飛び交う令和の時代ではある。だが、エンタメやニュースとして「LGBT(Q)のネタもカバーしておく」ような“雑”な気持ちは、世間が想像する以上に当事者に伝わり、傷つけているのを実感したインタビューだった。