なおも、資料をあさってみますと、『大鏡』から約50年後の『悉曇要集記』という仏教関係の本に、犬の鳴き声が出てきました!やっぱり「ヒヨ」って書いてあるんですよ。
ここで、私は考えた。平安時代は、濁点を記さないことが多い。だから、「ひよ」じゃあなくて、濁音「びよ」を表わしているのではないかと。
その線で、犬の鳴き声をたどっていくと、ずっと時代は下るのですが、犬の声を間違いなく「びよ」と濁音で写している例がありました。
江戸時代初期の狂言台本「柿山伏」です。「柿山伏」というのは、こんな話。枝もたわわな柿の木を見て腹をすかせた山伏が、柿の木に登って柿を盗み食いしていた。けれど、折悪しく柿主に見つかってしまう。柿主は、柿を盗まれた腹いせに山伏をいたぶる。その場面にこうあります。
柿主「犬ならなこうぞよ」
山伏「はあ、こりゃ鳴かざなるまい。びよびよ」(『狂言記』巻三)
山伏は、柿主に見つかるまいとして、犬の鳴き声をまねています。犬の声が「びよ」であったことが確認されました。
「びよ」から「わん」へ
犬の鳴き声が変化した理由
江戸時代中頃までは、この「びよ」(「びょう」のこともある)の犬の声がよく現われます。とすると、江戸時代初期から中期までは、犬の声が2種類あったことになりますね。「図6」をご覧ください。
同書より転載 拡大画像表示
古い「びよ」系の言葉と、新しく現れた「わん」が江戸初期から中期にかけて共存していることが分かりますね。言葉というのは効率を重んじますから、どちらか一方で足りる時は1つで済ませます。犬の声として「びよ」と「わん」の2種類が存在できるのは、意味分担をしている場合です。







