日銀が金利をなくしても
内需は増えずデフレ脱却もならず
なぜ円安が加速し、日銀の政策が後手に回っている状況なのか。まず、なぜ日本が「金利のない世界」に陥ったのか振り返っていこう。1990年代以降、わが国はほとんど金利が付かない世界に陥った。99年2月、日銀はゼロ金利政策を導入し、デフレ脱却を目指した。
2001年 3月~06年3月、金融緩和の効果を高めるため量的緩和政策を導入した。07年2月、日銀は利上げを行い政策金利は0.5%に上昇したが、リーマンショックの発生によって再び超低金利環境に戻った。
12年11月以降、アベノミクスが本格始動した。16年2月にはマイナス金利政策が導入された。同年9月、日銀は10年国債の流通利回り(長期金利)をゼロ%程度に誘導する政策(長短金利操作)も実施した。
この間、短期から超長期まで、金利は趨勢(すうせい)的に低下した。銀行にお金を預けても、ほとんど金利は付かなかった。生命保険の予定利率も引き下げられた。国債流通市場では、マイナス金利、長短金利操作の影響から10年国債の利回りがマイナス圏に陥った。
16年7月下旬、長期金利はマイナス0.30%程度まで低下した。残存15年の国債流通利回りもマイナス0.08%まで低下した。金利がマイナスになると、債権者から債務者へ、所得は移転してしまう。債権者からすれば、金利がないどころか金利を取られてしまう事態に陥った。常識的に考えられない、いびつな状況になったのである。
それでも政府は、13年に締結した日銀との政策協定を重視し、金利を引き下げるよう要請を行ったようだ。金利が低下すると、個人、家計、企業はお金を借りやすくなる。個人消費や住宅投資、設備投資が増えることで、デフレから脱却できると考えた(リフレ政策)。
しかし、日銀が金利をなくしても結果的に国内の需要は増えず、物価もデフレから脱却できなかった。ようやく、消費者物価指数の上昇率が2%を上回ったのは、ウクライナ戦争発生後の22年4月だった。







