以来、昨シーズンまでの8年間で国内三大タイトルをひとつも手にできなかった。2018シーズンにAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を初めて制したが、リーグ戦の頂点に立って初めて2017シーズンの悔しさを払拭できる、という常勝軍団ならではのイズムが、さらにプレッシャーを増幅させた。

 そして、くしくも2017シーズンから川崎を率い、鹿島の前にたちはだかったのが鬼木監督だった。市立船橋高校から1993シーズンに鹿島へ加入。通算で6シーズン在籍し、2000シーズンから完全移籍で加入した川崎で2006シーズンを最後に現役引退。歩み始めた指導者の道で監督として成功を収めた。

海外移籍を経て鹿島に復帰した鈴木優磨
「監督についていくだけ」

 リーグ戦で達成した2度の連覇を含めて、就任前までは無冠だった川崎で、8年間で7個もの国内三大タイトルを獲得。卓越した手腕に大きな期待をかけられ、常勝軍団復活への案内人として、26年ぶりに鹿島へ復帰した今シーズンの始動直後。鬼木監督はこんなアプローチを取っている。

「プレッシャーを取り除こう、とはしていません。鹿島はタイトルを獲り続けなきゃいけないし、常勝軍団であり続けなきゃいけないなかで、誰よりもタイトルを欲しているのは監督の自分だと話しました。

 さらにタイトルを争って戦えるのはプレッシャーでもあり、やりがいでもあると。大好きなサッカーをやっているのだから楽しもう、とも話してきたなかで、選手たちに気持ちの変化があったのかもしれない」

 実際にどのような変化が生じたのか。昨シーズンまでを「チームが負けたときに、最も大きな責任を背負っていたのは間違いなく自分だった」と振り返る鈴木優磨が、さらにこんな言葉を紡いだ。

「監督は『負けたときの責任は自分が取る。だから思い切ってプレーしろ』とも言ってくれた。川崎であれだけ勝ってきたし、どのようにして勝つのかを一番わかっている監督なのでめちゃくちゃ説得力があった。監督についていくだけだったし、個人的にはもう思い切りプレーするだけでした」

 小学生年代から鹿島の下部組織で育った29歳の鈴木は、目の前で見てきた「強い鹿島」に憧憬の思いを抱き続けてきた。2019年夏にはベルギーのシントトロイデンへ移籍。ヨーロッパでの挑戦をスタートさせながら、無冠状態が続く鹿島を助けようと、2022シーズンから復帰した男気も持ち合わせている。

 渡欧前はストライカーの証でもある9番を背負っていたが、復帰後は鹿島のレジェンド、小笠原満男さんの象徴で現役引退後は空き番となっていた40番を志願して継承。理由をこう明かしている。