鬼木監督の招聘に動いたのは、小笠原さんとともに鹿島の黄金時代を担ったレジェンド、中田浩二フットボールダイレクターだった。昨シーズンの終盤に強化の最高責任者となる現職に就き、古巣の再建に奔走してきた中田氏も、くしくも鈴木と同じ言葉を鹿島復活へのキーワードにあげている。

「言い方がいいのか悪いのかはわからないけど、鹿島が変に過去に縛られたなかで固定観念が生まれていたというか、止まっていた部分があったと思う。そこでオニさん(鬼木監督)と一緒に『新しい鹿島』を進められたと思うし、いままでチームとして大事にしてきたもの、いわゆる『鹿島らしさ』もしっかりと言語化しながら、両方のバランスをうまく取りながらやってきたのがよかったと思っている」

 中田氏が言及した「鹿島らしさ」とは、日本リーグの2部に低迷していた住友金属工業蹴球団を前身とする鹿島が、1993シーズンのJリーグ発足とともに一気に強豪の仲間入りを果たした軌跡となる。

神様ジーコが築き上げた土台
「鹿島らしさ」とは何か

 黎明期に選手でありながら練習の指揮も執り、いま現在に至る鹿島の土台を築きあげた神様ジーコの妥協を許さない厳しさは鬼木監督も選手時代に熟知している。中田氏はこう続けている。

「じゃあ『鹿島らしさ』とは何だろう、と考えたときに、いつも練習の強度の高さに行き着く。ベテランだろうが若手だろうが関係なく、すべては勝利のために、というところですね」

 今シーズンを振り返れば川崎に屈し、2度目の3連敗を喫した7月5日の第23節が最後の黒星になっている。その後の15試合で10勝5分けと無敗をキープし、横浜F・マリノスを2-1で破った12月6日の最終節で歓喜の雄叫びをあげ、鈴木、植田、三竿らは人目をはばからずに号泣した。

 2位で追走してきた柏レイソルとの勝ち点差はわずか1ポイント。無敗をキープした第24節以降もほとんどが接戦だったが、たとえば柴崎は最後の15試合でわずか2度の出場に終わっている。怪我をしていたわけではない。妥協を許さない日々の練習で競争に敗れ、応援する立場に回っていた。

 そして夏場までに喫した2度の3連敗を、鹿島の小泉文明社長は「成長痛ですね」と笑顔で振り返る。一喜一憂しないどころか、シーズン中の復帰が絶望的となる大怪我が主力選手に相次いだ後半戦を前にして、当初の予算を大きく超えるのを承知のうえで新戦力を補強。鬼木体制を力強く支えた。

 鹿島は2019年7月に大きな転換点を迎えた。黎明期から住友金属工業、合併後は新日鐵住金、社名変更後は日本製鉄が担ってきた筆頭株主が、クラブスポンサーのメルカリに異動した。これには懐疑的な視線が向けられ、クラブ運営次第では買い戻しを検討する旨の念書を日本製鉄が出されたのも確認されている。