先生に注意されたので、僕は油絵を捨てて漫画を選びました。

「漫画家になりたい」と初めて思ったのはその頃のことです。

 ですが、中学生になる頃、「弁護士は司法試験に受かればなれる。医者は医師免許を取ればいい。でも漫画家は、なりたいからといってなれる職業ではない」と気づいて、僕は早くも漫画家になるという夢を諦めてしまいました。

 大人びた考え方だと思うのですが、何しろまだ中学1年生。自分でも笑ってしまうのは、次に目指したのが小説家だったことです。後になって、漫画家と同じくらいなるのが難しいことを悟るのですが、当時の僕にはなぜか、小説家のほうが現実的に思えたんですね。

 夏目漱石、森鴎外、幸田露伴、二葉亭四迷といった純文学に浸り、高校では文芸部を立ち上げて、大江健三郎、坂口安吾、三島由紀夫などの作品を片っ端から読み漁り、やがて自分で小説を書き始めました。

 それでも、さすがに大学受験が近づいた頃には小説家志望ではなくなっていて、「新聞記者もいいな」と考えていました。動機は単純で、当時、NHKで放送していた人気テレビドラマ『事件記者』への憧れです。

 そこで高校の先生に「新聞記者になるにはどうしたらいいでしょう?」と聞いたところ「早稲田大学に行ったらいいんじゃないか」との答えが返ってきました。たしかに、当時のマスコミには早稲田出身者が多かったのですが、その先生の言葉にどれほどの裏づけがあったのかは不明です。

 こうして僕は、早稲田大学に入学するための受験勉強を始めます。

新聞社への就職は超難関
最終的に松下電器に入社

 1947年生まれの僕たちは、“団塊の世代”の先頭。1学年下は人数がもっと多いので、「一浪したら合格はまず無理」と先生に脅されたこともあり、自分自身にノルマを課して必死になって勉強しました。

 その甲斐あって、現役で早稲田の法学部に合格。漫画研究会(漫研)に入りましたが、当時の漫研では風刺漫画などに使われる1コマ漫画が主流で、僕が志向するストーリー漫画の描き手は一人もいませんでした。1コマ漫画には興味がなかったので、真面目な部員ではなかったと思います。