学園祭では屋台を出して似顔絵を描き、部費を稼いだものですが、漫研でストーリー漫画は一度も描きませんでした。漫研に所属していても、「漫画家になりたい」とは思いませんでしたね。
ところが、卒業が近づいてきたある日、「マスコミ問題集」をやってみたら、やたらと難しくてちっともできなかった。調べてみると「朝日新聞」の採用倍率は200倍ぐらいで、他の新聞各社も大手出版社も軒並み高いことがわかりました。
「こりゃ無理だ」
そこで僕は、ジャーナリストへの憧れを捨ててしまいます。次に目を向けたのが、広告宣伝の仕事です。
ポスターやチラシなどを作るだろうから、絵を描くという特技が活かせるのではないか。マスコミ業界にも近いし、コマーシャル・フィルムの制作に携われるかもしれない……。
採用試験の日程を確認すると、電通や博報堂といった広告代理店は就職協定に従って7月、メーカー各社はそれに先立って4月頃から青田買いを始めていました。
であれば、まずは広告宣伝に力を注ぎ、“宣伝御三家”と呼ばれていた「松下電器」「サントリー」「資生堂」の3社を受けてみよう――と決意し、日程が最も早かった松下電器の採用試験に挑戦。採用通知が届いたので、迷わず入社を決めました。
僕の就職活動は、最終的にはすんなりと終了したのです。
人からのアドバイスを
真剣に吟味する姿勢が大切
こうして就職までの道筋を振り返ってみると、我ながら「いろいろな職業に興味を持ったなあ」と改めて感じます。
漫画家、小説家、新聞記者、宣伝マンのほかにも、漫画に出会うまでは漠然と「絵を描く仕事がしたい」と思っていたし、大学時代には「映画監督になりたい」と真剣に考えたこともありました。
僕は決して、幼い頃に抱いた「漫画家になりたい」という夢を追い求め、様々な困難を乗り越えて夢を叶えた――わけではないのです。
むしろ、「まあいいか」「それがどうした」の精神で、「難しそうだ」「無理そうだ」と感じたら潔く諦め、新しい目標を定める。そこで1から学び、自分なりの試行錯誤を重ね、自分自身が納得できるまで経験を積む。
それでもダメだと悟ったら、また潔く諦めて……を繰り返した結果、漫画家になれたのだと思っています。







